コリアンダイアリー
○○韓国雑感 韓国は楽しい○○
  

 元福岡県ソウル駐在員の山下です(現在、県国際交流課在職)。韓国に住んで見ると、本当にいろいろなことがありました。楽しいこともありました。現在福岡なんですが、一韓国ファンとして皆さんに情報発信をさせていただきます。


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2004年11月30日

県庁ロビーの花 東公園を通って
その2 その3
その4 その5 職場へ向かいます

国文祭のお疲れ会

 昨晩というか、ほんの数時間しかたっていないけど同じ組織のkさんとばったり、行きつけの店で会いました。仕事が、9時近くに終わって、本当なら、駅前のコンビニで、缶ビールとつまみを買ってそのまま、自宅に帰るのですが、今日は、ちょっと、食事をしたいなと思って、行きつけの店に寄ったのでした。そこで、偶然、その方と会ったのですが、自分は、仕事上でしかあっていないので、私の名前も顔も多分覚えていないのでは、と思っていたのですが、すごい・・・ しっかり覚えていらっしゃるんですね。ありがとうございます。私もよく仕事をされる方なので、名前も覚えていますが、あえて、kさんということで・・・ 今後ともよろしくお願いします。私は、テレビではなく、ラジオ向きなんですよ・・・ すみません、早速本題に。

 日曜日(28日)、国文祭のお疲れ会が開催されました。飲み食べ放題・・・ 2100円。よくこんな店を見つけてくるよなと思いつつ。ただ、酒は、生ビールとチュウハイ、それにソフトドリンクでしたが、みんなと楽しく飲めました。私もそこそこ飲めましたし、時間帯が早かったので、帰りの帰社の時間を気にせずに飲めてよかったですね。食べ放題といっても、みんな、そんなに食べるわけでもなく、アルコールも私から言わせるとそんなに飲んでるふうでもなかったので、お店側としてもそこそこ利益はあったのかなと思った次第です。

 なんというか、皆さんボランティアで参加しているのですが、その意気込みはすごいなと思いました。みんなで、国文祭を支えたという自信と、私たちでやらなければという責任感と・・・ 若い大学生から、少し年配の方までその範囲も幅広くすごいよなと思ったわけです。私の場合は、仕事ですからできて当たり前、するのが当たり前なので、皆さんの意気込みには圧倒されました。そして、それができてよかったという話になるのですから・・・

 それと、帰りがけに、ボランティアの方から、山下さんって、ラジオに出てましたよねとか、ホームページの「や、ましった」さんですか? 何て聞かれ、え、結構知っている人っているじゃないかと思ったりしました。こちらは、そんな、月に2、3回ラジオで話しているぐらいだし、そんなに知られていないと思っていたんですが、知っている人は知っているんですね。ちょっと恥ずかしかったけど、うれしかったですね。その方いわく、私にとっては有名人ですから・・・ それを聞いてもっと恥ずかしくなりました。


2004年11月29日

冬の花火 その2
その3 その4
その5 その6

冬の花火・・・

 花火は、冬のものだと思っていました。そんな固定観念があったのですが、最近では、冬場にも花火をするようになりました。夏の風物詩だったですが・・・ イルミネーションを見て思うことは、きれいだ、寒空にあの明かりを見ると心が温まるという風に私は見ていました。それで、好んで、イルミネーションの写真を撮るわけですが(もっともイルミネーションに限らず、いいと思ったら結構とります)・・・ ある友人は、イルミネーションを見ると寂しくなるからあまり好きではないと語ります。

 きっと、花火を見る人もそんな風に思っているのかな? 多くはないでしょうが。確かに、パッと勢いよくパッと咲いて、パッと散っていく、そんなイメージですから、その一瞬をきれいと見るかはかないと見るかその違いなのでしょう。人によってものの見方、捉え方はばらばらです。それだから面白いのかもしれません。ただ、根底が全く違う人とは、相容れないので・・・ 反社会的な人などですね。まあ、こんなことを言えるのは、日本が平和だからでしょう。戦火の中で、飢えの中で、今日、生きていくので精一杯な人も多いのですから。

 私の使命は、福岡広くは、日本と韓国との橋渡し的仕事だと思っているので、このために力を入れていきたいと思っています。実際には、微力ではありますが、業務や、NPO団体に属することで、かかわらせていただいています。仕事では断らざるを得ないこともNPOという組織であればできることって結構ありますから。多くの韓国の方のスタンスと共通する部分かもしれません。韓国の方の考え方は、福岡県職員、即、福岡県のことは何でもわかる。何でもできると思うんですね。それから、組織で仕事をしているというのは理解をしていながら、結構、属人的だったりして・・・ 冬の花火を見て、決意を新たにするというのも変は感じではありますね。


2004年11月28日

ホテルオークラのイルミネーション セミナー参加
その2 花の写真がいいですね
その2 その3

今日は、国文祭のお疲れ会

 先週の金曜日は、四川料理の店に寄ってきました。国際経済観光課の職員の皆さんから誘われていたこともあり、仕事が一段楽してからですから、結構遅い時間からスターとなりました。結構辛くておいしかったですね。久しぶりに中国料理を食べたといった感覚でした。中で飛び交う言葉は、中国語がほとんど、中国人が来る中華料理屋はやはりおいしいのだと思います。本当においしかったというのが印象です。店の名前は、中国四川料理 好運来といいます。電話は、282−5598 住所は、博多区博多上呉服町3丁目17−10 蓮池前バス停の前にあります。外国人が7割以上来る店もそう多くないような・・・

 職場の同じような立場の人たちとの話なので、いろいろ職場のことも話しにあがるので、楽しく話ができました。同じように思っている人って結構いるんだとか・・・ これは、私の個人的な感想になるのですが、いろんな矛盾というか、問題を抱えていて、それをどこにもっていいのかわからないというのがよくわかったというのが結論ですね。やる気はあるし、やっているつもりなのですが、全くやらない人、できない人も同じような待遇というか、それ以上の待遇評価を受けているのを見ると憤りを感じますね。これは、私たちの世界だけじゃないでしょうけどね。

 その辺は、民間の方が、厳しい評価だと思います。個人的には、上からの評価だけではなく、下からの評価も必要でしょう。そう思います。上の方が、目標を出し、それに近づけなければ、辞めてもらうというか、降格するといった具合に。過激な言い方かもしれないけど、目標達成を上げておいて、それができないのは、その人の責任になるわけですから。予算もあり、それなりの部下もあり、それでできないというのであれば、そんな上の仕事をする必要はないわけですから。それは、駐在員についても当りますよね。駐在員だったら、目標達成の目安としては、前駐在員+αとなるのでしょうかね。といいつつ、それも難しい面はあります。

 私も今回申請するときに自分のできる範囲というか、目標を自分なりにあげました。それは達成したいし、できなければ、代えてもらってもいいぐらいの気持ちです。もっとも以前の駐在員のときもハードルが高かったんですが、何とかクリアしてきました。それは、プレッシャーでしかありません。でも、そのプレッシャーのおかげで、90パーセント以上は、目標を達してきたと思います。例えば、福岡ベンチャーマーケットに毎月企業を連れて行くなんて結構大変でした。次回の駐在についても申請書で、それは、あげています。結構大変といえば大変です。企業周りや、関係機関周り、展示会への出展等、でも、ちょっとしたコツがあって・・・ それは、韓国との付き合いが長い分強いのかもしれません。

 ただ、民間企業の方にしてみれば、それが当たり前、そのノルマが達成できない場合は、何らかのペナルティー、費用対効果・・・ それが基本なのですが、公務員の組織では、それを評価するところがないんです。それが問題だと思います。例えば、失礼な言い方ですが、北九州市で開催された、博覧会、結果的には、失敗だったわけですが、市長だけが給与の減額、他の職員は、異動で逆にえらくなっているのですから・・・ そんな矛盾に接しているとそんな組織辞めたいと思う人が増えるのも仕方ないのかもしれません。


2004年11月27日

年輪ピックのカウントダウンが始まりました 県庁内にも年輪ピックのコーナーができました
花はいいですね 心が和みます
12月22日に彼は歌いう黄さんです 花は本当にいいですね

年輪ピックに・・・

 国文祭が終わったら、次は、年輪ピック、時は確実に流れています。実感します。スローガンにアジアの和というのがあるんですが、スローガンだけで、韓国と何かやるわけじゃないようだし、それなら、はじめから入れないほうがいいようなそんな気がします。するならするで、国際交流課と打ち合わせをしたほうが、後々やりやすいような気がするのですが。まあ、私の方から積極的に話を切り出すのもおかしな話ですから。

 来年、年輪ピックが開催されます。私たちの人事も今が山場というか、締め切りがこのごろだったし・・・ どこに行きたいと希望を出す締め切りがほんの数日前だったというわけです。本庁のペーペーで、5年ですね。5年たてば、自分の異動意見をいえます。そのほかには、職場を変わりたいと申請した人もヒヤリングの可能性はあります。今は、出先から、県庁で勤務したいとやってくる人はほとんどいません。まあ、きついだけで、自分の時間もないとなれば、それはそれで仕方ない面はありますが。

 私もソウルに希望を出しました。いけるかどうかは別にして。出さないと、それだけで、後悔してしまいそうですから。何で、そんなに韓国に惹かれるのかわかりません。もちろん、韓国というより、仕事のやり方というのもあります。自分のやり方で、韓国では、通用するのですから。やはり、福岡では、福岡の流れがあります。上の方がいて、その意向は、無視できませんから。県にいるのであれば、早くえらくならないと、きついだけかもしれないな、と思ったわけです。


2004年11月26日

昨年は、この被写体で賞をもらいました 警固広場のイルミネーション
その2 その3
その4 その5

仕方ないのかもしれません

 先日、福岡県内の某高校を中退した高校生の父兄からこのような文章が来たと県庁に勤務される方が、当課を訪問され、話を聞くことになりました。内容的には、そんな風に話をすることもあっていいというか、ありうることだと個人的に思ったのですが、担当の方いわく、韓国では、そんなことは当たり前だから、それを知らずに受け入れたその高校が悪いという話をされたり、韓国人は元々○○だから、という言い方を連発されるので、私も少々(かなり)頭に来たこともあって、思わず言い返しました。

 いろいろな韓国人がいるように、日本人もいろいろいる。それをまとめて、韓国人は、という言い方は、して欲しくない・・・ むしろ、理路整然と話をする今回の韓国人の方の主張は正しいし、それを問題化するというのはおかしいと思うわけで、県としての立場を表明しなければならないとすれば、それはそれで、表明すべきだと思うわけです。いろいろ考えると、その担当の方は、実際に韓国の型との付き合いがないので、そんな風に考えてしまうのでしょうね。

 やはり、知識としては知っていても友人がいないということで、憶測というか、思い込みをしてしまうのは、仕方のないことかもしれません。それを、そうではないということを話していくのは私たちの仕事というか、勤めなのだと思います。その意味で、私たちの役割は大きいのかもしれません。写真は、昨日に引き続き、警固広場の写真です。昨年は、よくこの時期、この広場を訪問しました。今年も、時間があれば、足を運びたいスポットであります。


2004年11月25日

コップの中のろうそく 警固広場のイルミネーション
その2 その3
その4 その5

結局、できずじまい

 たくさん資料を持って帰って、自宅でと意気込んだものの結局できずじまいになってしまい、そのまま資料を職場へ運ぶことになりました。こんなことって結構あるんですね。ただ、自分としては、少しでも早く仕事をしたいという思いで、そうしているんですが、なかなか思うようにはすすみません。電話もないし、お客も来ないし本当は、はかどらなくてはいけないのですが、なかなかそれもできないんですね。ちゃんと、情報収集をしてはいるんですが。

 私の場合は、いろいろ企画して考えて動くというより、走りながら考えるというのが、性にあっているようです。実際これまでもそうでしたし、理屈をこねる人は別にいてもいいし、今しなければならないことを今やる、自分がやる。そんなタイプです。どちらかというと現場タイプだと思います。そこで考えて動くというか、例えば福祉事務所にいれば、直接話をしたくて、手話を覚えたし、点字も勉強しました。そこで、福祉は、住民の人と一緒にやらなくてはいけないと思ったわけです。

 韓国の仕事をするようになってからは、当然ですが、韓国語を覚え、実際に話し、通訳無しでできるぐらいというのを目標にやってきたわけです。実際、今も、通訳無しで、仕事していますし・・・ 企画主査と言う立場ですが、企画をする人って、結構多いし、多すぎるし、私の仕事は、実際現場の仕事なんですね。だから、いかに人と多く会うか、いかに現実の問題を解決するかがとわれているわけです。その意味では、十分、私の仕事は、達成していると思いますが。机上の空論は私には向いていません。きれい事では済みませんし・・・ お役所仕事だといわれないためにもなんと言うか、もう少し気がついて欲しいと思っているところです。

 理屈というか、理論武装というか、それはそれで大事なことかもしれません。細かなタイムスケジュールとか、あいさつ文とかそれも必要かもしれません。でも、基本的には、どんな方向で動くか、どうしたら、うまく、韓国の人を呼べるか・・・ それを考えたら、そんなあいさつ文で時間をつぶすのはもったいないし、大筋を示す必要があるような気はします。まあ、下々ですから、なかなか、それはできないのですが、そういう意味で、知事の仕事は面白いだろうと思います。もっと、ブレーンが回りに欲しいところでしょうが。


2004年11月24日

「ロトくじ」を「まくじ」と平気で読んでしまった ウインドー内もクリスマスを意識したような
イルミネーションがきれいです クリスマス到来・・・
昨年もここの写真撮ったよなと思いつつ ツリーも登場

職場の飲み会 

 久しぶりの飲み会です。アルバイトに新しい女性が来たのでその歓迎会といろいろイベントが一段落したこともあり、その打ち上げを兼ねての職場での飲み会です。急な召集にもかかわらず、ほとんど出席しました。なかなかこういう機会はないので、いろいろ話が盛り上がります。これがしょっちゅうというと、みんな負担になるのでしょうが。たまに集まって話すというのはいいものだと思いました。なかなか職場では話しませんからね。

 職場結婚というのも判る気がしました同じ職場でずっと働いているのでその人の働き振りとか、性格とかわかるでしょうし、飲み会で、知らない部分がわかったりして、そうして、付き合って結婚となるのかなと・・・ まあ、私が、結婚をした頃は、職場には、女性がいるにはいたのですが、全部結婚していたし、アルバイトの人がいるにはいたのですが、なかなか、そういう機会はありませんでしたね。今は逆に若い人が減ってしまって、職場結婚は難しい状況でしょう。

 気分よく飲んで、駅前の店に2次会に行ったので、絶対に座席に座らないと自分に言い聞かせて、JRに乗り込みました。おかげで乗り越すこともなく、手前で降りることなく自宅に帰ることができました。やはり、座らないというのが一番だなと実感。街は、クリスマスモード、今では、自宅用のイルミネーションセットが売られるように・・・ 省エネ、省エネといっていた時代がうそのようです。時代は変わるというか、変わっていいのかなという思いもあります。資源は大事にしなくては・・・ といいつつ、イルミネーションを楽しんでいますが。


2004年11月23日

外交官セミナーで挨拶をする知事 会場風景
アトラクションで博多ゴマが・・・ 会場のシーホークホテルのイルミネーション
その2 その3

外交官セミナーが開催されました 

 福岡県の魅力を紹介する外交官セミナーが開催されました。これは、在日の外交官の方に福岡に来てもらい、福岡のよさを紹介しようというものです。なんといっても知事が自ら、英語で語るということです。これを聞いて、すごいといってくれる外交官の方は多いものです。もうそれだけでいいような気がします。僕らが、韓国にいるとき、もちろん福岡にいてもつたない韓国語で福岡県の話をするとその後の懇親会でも結構、人が集まってくれて、話しかけてくれるようなものでしょう。

 外交官に喜んでもらえるということで、それが縁で、ミッションが来たことがあります。そんな門なんですよね。いろいろ、施策がどうだこうだといってもそのトップがどんな風に接してくれたということが、一番大きな要因だと思います。それは、アジアだとか、ヨーロッパだとか関係ないような気がします。人間と人間ですから。ただ、韓国の場合、より強いという感じがします。だから、私たち職員も、後ろ向きに接してはいけないんですね。できないかもしれないけどできる範囲のことを前向きに協力していくといった態度が、相手に伝わりますから。

 あそこは、結構消極でしたよといった話を外交官ではないのですが、話にあがります。仕事を増やさずにという方針であれば、それが一番なんでしょうが。自分もそれは性に合わないようで・・・ アトラクションの博多ゴマは、結構有名なようで、見たことがあるということで、逆に中座したりする人もいて・・・ 有名でない方がいいのかもしれないと思ったりしたわけです。アトラクションは難しいものです。先日のふくこい連は、会場を巻き込んでいたし、盛り上がっていたような・・・ 個人的に、あんまし、アトラクション知らないからですね。それが問題なのかも。


2004年11月22日

豊前での公演風景 その2
団員のみんなで記念写真 ボランティアの皆さん記念写真
国文祭フィナーレ その2

日曜の夜というか、もう月曜なんですが 

 明日からまた仕事だと思うと、ちょっと憂鬱になりますね。今日は今日で、というか、昨日から、机に向かって、仕事をしていたのですが、それも思うように進まないし、休めたらどんなにいいかなと思うわけで。そういえば、土日、仕事に出たから、代休は、結構たまっているんですが、それを使う余裕がないという悪循環ではあります。本当にほとんど机に向かっていて、気がついたら、時間になっていて、もう寝なくちゃいけないし、仕事は終わっていないしと・・・

 そういえば、昔もそうでしたね。学生の頃から、日曜洋画劇場を見る時間になって、あの音楽を聴くと、あ〜、また、明日から学校だなと思ったわけです。仕事と趣味の中間というか、写真を打ち出せる形にして欲しいと言われていたので、先日の知事交流会議の写真をまとめていました。それから、国民文化祭の写真もそうですね。本当は、早くまとめなければいけなかったのですが、なかなか時間が回らなかったというのが実情ですね。

 それと、これは直接、仕事というわけではないのですが、次回、駐在を希望する申請書があるのですが、それの締め切りも近づいているので、その内容を考えたり、先日の福岡ちんぐの会の報告というか、写真を整理して、アップデートをしたり、クリスマスコンサート案内を作ったり等々、仕事以外の仕事も結構あるんですね。月曜日、仕事云々とか、他にもいろいろ負担に感じることがあります。これは、ストレスなんでしょうね。でも、このストレスのおかげで、自分のしりをたたくようなところもあって、がんばっているのかもしれません。


2004年11月21日

小倉のイルミネーションは続きます その2
その3 その4
その5 その6

ちんぐの会総会 

 11月19日第3金曜日、ちんぐの会の総会です。会場はいつもと一緒の円坐です。総勢18名です。会計報告、事業報告をして、参加者の紹介です。本当ならそのときの写真も載せるといいのでしょうが、ずいぶん前から紹介したい写真もたまっているということで、写真は、機会があれば、後日紹介ということにさせていただきます。それぞれ、いろいろ活動をしている人の集まりなので、面白い話をいろいろ聞くことができました。

 民団にいる方は、民団そのものはなくなるというか、名前を変えるべきだというんですね。コリアンという事で、北も南もなくどこに住んでいるとかも関係なく・・・ それがなかなかできないという話。それは、みているところが、地元というのではなく、ピョンヤンであったり、ソウルであったりというのだそうです。ただ、思うに、そういった意識を持つ人が増えてきているというのは、これから、変わっていくという兆しなのでいいんじゃないかなと思ったわけです。

 「アジアは、お茶と竹だ」という主張をずっともち続けている方もいますし、「3ヶ国語しゃべれなければ当たり前じゃない」主張、韓国映画の話を熱く語れる人・・・ すごい集団ではあります。単純に韓国との交流で割り切ってしまうと他のメンバーに失礼かもしれませんが、それは、それで、私の場合、切り口になっています。結構、盛り上がりましたね。それが一番ですかね。同じ目的ではないにしてもその会に来ることで何か、安らぎというと大げさかもしれませんが・・・ それなりにありますね。出会い、そのすばらしさを実感させてもらっている感じです。


2004年11月20日

小倉のイルミネーション 小倉駅のイルミネーション
その2 その3
明るいうちのツリー 夜になるとこのように・・・

元気な韓国 女性が拓く日韓新時代 

 元気な韓国 女性が拓く日韓新時代というセミナーが開かれました。私たちの班は、日韓交流を担当している班ですので、このセミナーにも参加しました。その分デスクワークは増えますが。ただ、それでも聞きたいと思うんです。先日のセミナーが,FTAといった硬い話題でしたので、やわらかいセミナーも聞いてみたいと思ったわけです。講師は、詩人の黛まどかさん、作家の姜信子さん、NHKの古川じゅん子さん、国際交流基金の小倉和夫さんでした。

 当初、挨拶を駐福岡大韓民国総領事の金榮昭さんがされたのですが、ユーモアたっぷりでした。一番もてるの男性は、イタリア人、2番目はわからないけどたぶん韓国人だろう。女性の場合は・・・ 今日、妻(韓国人)が近くにいなくていいのですが、日本人女性、2番目はわからないけど韓国人女性でしょうといった具合に・・・ お堅い仕事なのにケースバイケースといった感じで、みんな笑っていました。さすがです。今回はタイトルの通り、女性の話を聞きに来たので当初から、基金の方(男性)の話しは、聞くつもりはなかったのですが、たまたま電話で、仕事も入ったこともあり、女性3人の話が終わった段階で、中座しましたので、今回の感想は、女性の方のみ書かせてもらいます。

 それぞれの立場でそれぞれの切り口で話をされていました。皆さん面白いと思ったのですが、姜さんの話は、もっと後が続きそうで、それが聞けなくて残念でした。もう少し話を聞きたかったという気持ちです。以前も聞いたことがあったのですが、味がありますし、彼女の話はとても好きです。小川さんの話は、仕事上受け取った読者の声を中心にいろいろ分析をしていました。普段、聞くことができない話で、興味をそそられました。最後に話された、黛さんは、1年半をかけて釜山からソウルまで徒歩で、移動しながらそこでのふれあいの話でしたが、結構伝わってくるものがありました。全く飽きないというか、ひきつけられるものがありました。もう少し、3人の方の持ち時間を増やして欲しいと思いました。後で、テープおこしして、皆さんに紹介できたらなと思っていますが。さあ、どうなることでしょう。


 2004年11月19日

閉会式のあった会場 小倉城
リーガロイヤルホテル 駅前のツリー、去年もあったな
歩道にあった、動物のイルミ 小倉駅から、リーガロイヤルホテル方面

クリスマスの装い

 北九州へ来るのは、そんなに久しぶりというわけではないのですが、風景が変わっていました。クリスマスへ向けてのデコレーションが進んでいるということですね。博多駅周辺では、全く気がつかなかったのですが、こうしてみると、小倉駅は、クリスマスの雰囲気です。イルミネーション楽しみです。北九州だからというわけではないのです。イルミネーションがあればいいと思うわけです。ただ、知人は、このイルミネーションは嫌いだと話していました。

 何か、見ていると、冷たく感じるし、寂しいからだとの事。私は、逆に、暖かく感じるんです。もちろん、アベックで、手を組みながらそのイルミネーションを見ているのを遠巻きに見るのは、寂しいものはありますが、それはそれとして・・・ まあ、だいぶ慣れはしましたが。そんな軒にしてたら、街なんか歩けませんから・・・ ちょっといきがっているような気もしますね。本当に、最近、イルミネーションを見たと思ったのに、もう、1年たつんですね。

 11月も中盤から、後半に入っていますし。本当は、この時期、一息ついて、原稿や、来年の方針を考える時期なんですが、なかなかそうは行きません。昨日も、伝統工芸品の展示会が開催され、通訳の手配をしたり、来年の知事交流会議の二って調整をしたりといった具合に、忙しいですね。数日前には、日韓学生フォーラムの担当の先生や、学生フォーラム(大学生)の担当の人が来ましたし。けっして、忙しいことは、嫌でははないですが。余裕を持って仕事をしたいですね。


2004年11月18日

国文祭の案内が・・・ 北九州市ステージでのパフォーマンス
私のアテンドしたカンヌンの仮面劇 会場の人も一緒に
踊ります。観客参加型 お面を取ってびっくり・・・ もちろん男性

カンヌンの仮面劇

 この日は、14日です。いろいろ写真がたまっていたので、本日の紹介ということになりました。さすがというか、お面をつけるとチマチョゴリをつけた彼が、見事女性になるんです。知らない人が見たら、きっと女性だと思うことでしょう。体のしなやかな動かし方とか、振る舞いとか・・・ お面を取ってびっくり、女性じゃなかったんだ。そして、ひげまで生やしているじゃないか。このギャップがいいですね。全く想像していませんでしたから。

 次の日は、閉会ということで、一緒の職員も疲れ気味です。でも、明日で終わり・・・ 韓国の仮面劇を見るのは、初めてですが、面白いものです。それに、観客とステージが近いというのは、よく見えるというのもあるけど引き込まれます。この日は、朝1時半とか、2時に起き戸のことで、結構、団員の皆さん、疲れていました。年齢層が高いから特にそうかもしれません。このステージを終えて、市内を見学し、ホテルで休むことにしました。夜は先日触れたように夕食会があるので、それまで休憩ということになります。

 ただ、ホテルのロケーションがあまり良くないんですね。リコホテルは、在日の方が経営をしているホテルで、結構、韓国の方が利用されるホテルなのですが、それを取り囲むように風俗の店があるんです。そして、やはり、当然というか質問が出ます。うそを言うのも嫌なので、一種の風呂だ。ただ、特別なサービスがあるので、とても高いから、利用しないようにしましょうと話をしました。納得はしてないようでしたが。そもそも、私も行ったことないから話でしか知らないから、うまく説明できるわけもなく・・・


2004年11月17日

佐賀県職員の宮原さん 魚専門店 さうお
部屋の中には、いけすが 当日のメンバー
いけすの魚を釣ります 女性のストリートミュージシャン

佐賀県の職員が訪ねてくれました

 以前、ソウル滞在中に、研修で、佐賀県では、韓国をはじめ、アジア各地を回るという研修がありました。その時、女性として初めて、参加したのが写真の女性、私の上司は、タイに勤務しており、わざわざ国際交流課を訪ねてくれたもの。まだ、当時は、お子さんがいなかったんですが、今では、2児の母との事。そういえば、彼女のお父さんとも偶然、ソウルであったことが会ったな。出会いというのは、不思議なものです。いつもそれを実感しているところです。

 エピソードというか、たいてい、ソウルを訪ねてくれると、歓迎会をソウルにいる地方自治体のメンバーでするんですが、たいてい、1回だけなんです。ところが彼女が来た時は、3回ぐらいやりました。特段女性だからと差別をしているわけではないのですが、結果的にそうなってしまったわけです。当日は、国民文化祭で、出会ったボランティアの方の誘いで、一緒に飲みに行ってきました。紹介したい方がいるということで・・・ 語学学校の先生でした。韓国語の先生(韓国の方)、それに英語、イタリア語の先生(アメリカの方)、それに担当の方等々。

 結構、話は盛り上がりました。日韓の学生の交流ということでの意見交換をしました。いかん、資料を送るといっていたのにまだ送っていないな。このところ、こんな感じです。この店は、「ざうお」という店で、店の中にいけすがあるのです。それを釣りたい人は釣り、料理してもらいます。たい1匹2000円で釣った人が買い取るのです。これを料理してもらいます。たいていの人は、刺身にしてました。料理はおいしかったですね。結構遅くなりました。博多駅についた頃は、最終まで、数分という時間でした・・・ 今日もアスルアスルハダ(ひやひやする)でした。


2004年11月16日

昌原の風景1 その2
その3 その4
その5 その6

昌原のタクシーは黄色

 目に付くからなのでしょうか、昌原のタクシーはみんな黄色なんですね。わかりやすいからでしょう。なんて言われるとそれで終わってしまいますが。少なくともソウルでは目にすることはありませんね。ここ昌原独自の色なのでしょうか。それはそれでといったところですね。私の愛読書にチョウンセンガクと言う本があります。その中で、触れていて、記憶に残っているんですが、黒の取り扱いが変わっているという事です。

 太古の昔、黒は、暗黒、死、地下世界、恐怖を意味していたそうです。それは、ヒットラーの時代になると、恐怖の象徴として、それが、アフリカでは、高貴な色だったそうです。そう、歴史だけではなく地域によってもその取り上げ方が違うんですね。今では黒いバラを代表とするように、高級なものを象徴するものとなっています。その例で挙げられていたものの一つに、車がありました。そういえば高級車は、みんな黒ですしね。黒が引き締まった感じがするというのもありますが、大体公用車は、黒ですね。

 同じ色なのに、こんなに評価が変わるのかという気がしました。それで、韓国女性が好きな色の一つが、黒があるんですね。日本のイメージでは、黒といえば、葬式の色というのがあるのかもしれません。それで、というのがあるのかもしれませんが、韓国女性は、もちろん人によって違いはあるのですが、好んで、黒い服を着ます。そして、それが似合うんですね。そういえば、日本でも黒はやっているような気がします。


2004年11月15日

まだ続きます 昌原の風景1 その2
その3 その4
その5 その6

国民文化祭も終わりました

 国民文化祭も昨日で終わりです。関係者の皆さんお疲れ様でした。私も疲れました・・・ 一つの事業が終わるというのは、なんと言うか、達成感があります。本当に終わってよかったそして、それなりに観客動員もできたということは、成果ですし、そしてこれがこれからも続くのかなとも思いますし。国文祭は終わったけどこれからが始まりなのだと思います。ボランティアの方は、道は違うかもしれないけど活動を続けられるでしょうし。

 いろいろありましたが、今となればいい思い出です。一つのことに向かって力をあわせることのすばらしさというものを感じたような気がします。あんまし、感動しないというか、感動を忘れた者としては、うれしく思いました。結構覚めた目で見ている自分を自分で感じているのですが・・・ まあ、昔から転校の繰り返しで、そのたびに落胆をしていたのでは、自分が持たないと自分で決めたわけではないのでしょうが、そんな防衛反応をいつも繰り返していたような、そんな気がします。

 私の場合は、ボランティアではなく、仕事としてかかわりを持たせてもらいました。ただ、ボランティアの方が、打ち上げに誘ってくれたりと、同じ苦労を分かち合えてよかったと思っています。それにしても、事務局でがんばられた皆さんお疲れ様でした。特に、山口、山崎コンビに慰労の言葉を言いたいですね。本当にお疲れ様でした。皆さんが、もくもくとされたから、こんなに盛り上がったそんな気がします。本当にお疲れ様でした。


2004年11月14日

昌原の風景 その2
その3 その4
その5 その6

アテンドで北九州へ

 江原道のカンヌンから神楽団体(仮面劇)がやってくるので昨日から泊り込みでアテンドです。総勢40名弱。空港で向かえ9時20分。皆さんは、夜中2時起床だと話しをしてました。まあ、そこから車で3時間半揺られ、この時間につくとなれば、そのくらいの時間になるよな。勝手に思ったりしたわけです。神楽の写真は、後ほどご紹介します。到着するとすぐに北九州小倉へ移動。最初の公演です。ステージが思ったほど大きくないので、ステージの下も使っての公演。

 その分近くで見れるので観客と一体化した感じです。神楽そのものも会場の人を巻き込んでのもので、その分盛り上がりました。こういうスタイルだから、韓国でも人気があるのだろうと感心したりもしました。公演が終わると観光をし、チェックイン、それから豊前へ向かいました。豊前と交流が以前からあるもので市長さんの歓迎を受けました。それからまた北九州へ移動です。歓迎会そのものは、1時間程度で、移動時間が、3時間弱・・・ 

 ホテルが、豊前にはないとの事で仕方ないとの事でしたが、時間がもったいないと思ったのは、私だけではないでしょう。私たち事務局側も近くのホテルに宿泊です。みんなで、一緒に酒を飲んでいろいろ話をしました。結構遅くまで飲みました。帰る心配がないというのもあるのでしょう。それとボランティアの人がみんな面白い方だったというのもあります。学生、元社長・・・ それぞれ、自分の主張のようなものを持っているんですね。


2004年11月13日

宿泊ホテル 会場の照明
夜の風景 落ち葉が・・・
紅葉を目にしました 金属製のオブジェ

抗議の電話やメールが

 日韓知事交流会議で、共同声明分を発表しました。それを新聞にも発表するのですが、それに対する抗議のメールが入っていました。そして、電話もあり、私がそれを受けたのでした。それは、共同文書の中にノービザ化という文言が入っていたのですが、それに対するものでした。ノービザ化は、これまでもワールドカップ期間など限定して行なってきました。また、来年の愛知万博の期間もノービザカになることが決まっています。

 その後も続けて、韓国に関しては、ノービザ化になるよう、国に働きかけていこうというものなのです。日本人が韓国を訪問するときは、ノービザで、訪問できます。相互主義からしても韓国人が日本を訪問するときには、ノービザにすべきでしょう。そのことにより、観光だけではなく、経済についても活性化を図ろうというものです。私個人としても悪いことではないと思っていますし、もっと早くから取り組んでもよかったとさえ思っています。

 それに対し、抗議をされる方の意見は、大体一致していて、外国人が入ってくることに対して不安、犯罪増加の懸念をあげていました。実際電話を受けたのですが、その電話でも同じでした。その方は、韓国を知らない、行った事がない、だから余計、不安なのだと・・・ 確かに私の場合は、韓国に友人も多いし、もう、外国ではないので、そのように感じるのですが、全く知らない外の国の人だという感覚しかない方にとっては、不安そのものなんですね。そんな、不安感が取り除けるようにできるといいのですが。


2004年11月12日

会議会場の横断幕 福岡県知事が発表します
会議終了後の記念写真 昌原市内の建物 看板が目に付く・・・
花屋はいいですね 街も色好きはじめ・・・

日韓海峡沿岸県市道知事交流会議開催

 会議名が長いなとか、漢字ばかりでいかにもお役所言葉と思われる皆さんも多いと思います。まさしく、お役所の会議なんです。皆さんに親しまれる会議にするには、名称から変更すべきかもしれません。それはそうと、この会議は、今回で14回目を迎えます。会議では、知事がそれぞれ、発表文を読み上げ、提案をそれぞれしていくという形です。14回になると、いろいろ意見は言い尽くしたということで、あまり目新しいものはありません。

 新聞でもマンネリ化などという言葉が出てきますが、それは仕方のないことだと思っています。毎回、新しいことがたくさん出るというのではなく、この知事交流会議という枠組みがあるから、問題が起こったときにそれに対応できるわけです。なければ、その枠組みからまた作っていかなくて肺いけないので、そう簡単には話が進まないでしょうから。そうは言いつつ、今回、恒久的な韓国の方が、日本を訪問するときにノービザ化を・・・ とか、FTAの話も盛り込まれました。

 日韓首脳会議が、鹿児島で来月もたれます。時々、この首脳会議は開催されています。国のトップがあって意見交換をするのは大事なことです。そこであって、何か新しい提案がいつも出るかというとそうでもありません。それでも私は、頻繁に会って欲しいと思うのです。その流れは、日韓交流に必要だと思うからです。会って、話をするから分かり合えるし、わからなければ、わからないまま進み交流は、中断してしまうからです。


2004年11月11日

出発の日の弁当 釜山(金海)空港到着
歓迎看板が 歓迎の花と旗
イラストのようですが写真です この日ももう終わり

韓国での一日が始まりました・・・

 韓国での一日が始まりました。1時の飛行機で釜山へ出発。知事は、ぎりぎりまで、来客があり、空港へもぎりぎり到着。偉い方は、時間との勝負ですね。4県(福岡、佐賀、長崎、山口県)の知事が一緒に行動をするわけですから、日程調整も大変です。そうそう、韓国側との日程の調整も必要なのですから、8県市道ですよね。余計難しいわけです。七夕ではないのですが、こうして、集まるということについて意義があると思っています。

 初日は、13時の大韓航空で、釜山に行き、視察を行ないホテルへ向かいます。斗山重工業を訪問しました。ここでは、原子力発電をはじめとするプラントの工場で、重厚長大の企業。韓国を代表する企業なのですが、斗山というとこのグループで、ビールをつくっており、そっちを想像してしまうのは、私だけでしょうか。行きつけのホープも斗山ホープですし、まあ、関係のあるところを常に創造するというのは、人間のさがというものでしょう。

 この日は、それでホテルへ行き、夕食を済ませた後、実務者の打ち合わせです。昨年、記者発表を行なうぎりぎりまで、まとまらず苦い思いをしました。今回は、実務会議での確認も順調に行き、明日の会議も明るいかなと思った次第です。会議終了後軽くビールを飲んで、部屋で休みました。結構、国文祭や、この知事会議の関係で休みなく仕事をしていたこともあり、ことんと寝てしまいました。時間的には、そうでもないのですが、久しぶりにゆっくり寝たという感じです。


2004年11月10日

韓国の一団が帰国します 名残惜しいですね
たくさんの荷物であふれています あわただしく帰国
最後に記念写真を 皆さんお疲れ様でした

もうキャナルにはイルミネーションが・・・

 皆さんかえって来ました。疲れました・・・ 仕事は、しなくてはいけないと思うし、それで生活をしているからなおさら・・・ と思いつつも、さすがにくたびれたときは、ゆっくりとまで行かなくても、ちょっと休みたいと思うわけです。まさに今がそんな感じなのですが、そういうことって、まあ、よくあります。韓国にいるときもそうでした。日本とは仕事のやり方というか流れが違うわけで、自分がしようと思えばそれで仕事になっていたわけです。自分の判断ですから、その意味で責任はありましたが、やりがいもありました。

 そんな疲れたときに癒してくれるのが、イルミネーションの光でした。暖かい感じがいいですね。いまだに魅了されるのはなぜでしょう。そのイルミネーションが福岡のキャナルで始まったということです。一足早い、クリスマス・・・ そんな見出しで紹介されていました。クリスマス=年末、今年も終わり、月日の流れは速いと感じるわけです。そうなんですよね。12月いっぱいと今月も後20日ですから。キャナルのクリスマス雰囲気というか、そのイルミネーションを見たいものです。

 写真は、先日、国文祭に参加してくれたみんなを送りに港に行ったときの写真です。男性はそうでもなかったのですが、女性は、結構別れを惜しんでいました。韓国なんて本当に近い国なのに・・・ すぐに行き来できるのに、そんなに別れを惜しむのかと思ったしだいです。もっとも私の場合は、遠い国であっても、いずれ、縁があるから、会えるといった風に考えてしまうのですが。きっと、子供の頃から、天候を重ねてきたせいでしょう。そんなに、悲しまなくても会えるときには会えますから・・・ 明日からは、韓国の写真を紹介します。


2004年11月9日

川に映ったイルミネーション キャナルシティーのイルミ
その2 その近くのホテル
博多駅前のオブジェ 博多駅に並んだとびうめ国文祭のポスター

韓国なのですが・・・

 載せたい写真がいっぱいあるので、とりあえず、帰国するまでは、日本の写真を載せることにしました。話題といえば、7日の日曜日に吉塚駅が新装オープンしました。もちろんまだ工事中の箇所はありますが。入り口は完全に変わりました。県庁に出勤をしていたのですが、駅員にこの前までは、この近くにタクシーがいたのに・・・ それと九大にはどんなに行けばいいのかと尋ねる人がいたぐらいです。それだけ変わったということでしょう。

 急に変わると変わったことに気がつくのですが、少しずつだと気がつかなかったりということがありますね。例えば、東公園も毎日歩いているわけですが、ある日急に紅葉するわけでもなく、花が咲くわけでもないのですが、その少しずつの変化には、あまり気がつかないわけです。ところが、花が咲いたり、紅葉が深まったり、葉っぱが落ちて初めてその変化に気がつくようなところがあるわけで。自分もだんだん年をとっているわけですが、毎日の繰り返しだとそんなに気がつかないわけですが、結婚当初の写真を見るとずいぶん変わったと実感せざるを得ないわけで・・・

 韓国もそうですね。今回は、釜山、昌原なのでそうでもないのですが、これが、ソウルだったら、いろいろ感じるわけです。住んでいる人にとってはなんということもないことでも1ヶ月とか、2ヶ月に一度行くとその前の印象をはっきり覚えているので、特に私は写真を撮るので、映像として客観的に残っていることもあると思うのですが。それを見て変わったことを実感しているのです。国文祭も残りの方が短くなってきました。事務局の皆さんお疲れ様でした。私もそういえば、13日と14日は、泊りがけでアテンドがありました。


2004年11月8日

青空に木が映える わらぶき屋根
その家の近くに咲いていた花 その2
風になびく花 黄色が映えます

外国人に対する観光・・・

 知事交流会議の資料を用意しています。日曜も出勤しました。知事に対して、民間の方(旅行従事者)の方からの質問なんです。それに対する、資料を作っています。本来、観光セクションから出してもらったのですが、それにちょっと手を入れて飼料を作っているわけです。昔から、福岡だけではなく、日本の外国からの観光受け入れは、遅れていると思っていました。職員提案でも何度か提案をしたことがあるのですが、皆没になりました。

 まず、なんといってもインフォメーションの不足、大きな駅の周辺はもちろん、観光地には、いくつか必要だということ。また、その案内所には、韓国に限って言えば、韓国語のできる方が常駐するということ。インフォメーションというと大げさかもしれませんが、本当に小さなスペースでかまわないのですが。日本の場合、日本語のできる外国人のみ自由に観光ができますが、それ以外の方はお断りといっているようなものです。そんなインフラ整備が必要なわけです。

 そんなにお金はかかりません。ボランティアさんの活用、または、留学生をアルバイトとして雇用等々・・・ 韓国の観光に対する力の入れ方を知っていますから、日本の実情を話すのはちょっと恥ずかしい面があります。例えば、韓国の場合、日本のマスコミが、韓国を取材する場合、コーディネーターを無料で派遣したり等の便宜を図ってくれます。韓国側も自治体にそれを求めるのですが、予算のない自治体としてはそれを受けれないというのが実情でしょう。観光課にいるときは、私がそれをしていましたが。 

 観光に力を入れるというのであれば、それなりの予算をつけなければなりません。予算がつかないのなら人をつけて、セクションを独立させるとか、いろいろ方法はあります。私は、韓国との旅行社の関係もあり、韓国の旅行社から、直接電話がかかってきます。いろいろなアレンジなんですが、私が断ったら、誰も受けないよなと思うわけです。せっかく、団体で、福岡に入ってくるのに団体が入ってくれば、宿泊施設を使うし、移動のための交通機関も使うし、当然食事もします。お土産も買うでしょうし。そうすれば、県が潤うわけです。そしてそれがよければ、口コミで、広がり、また新たな人が、観光客として、福岡にやってくるわけです。

 他の行政機関としても積極的ではないところも結構あります。よく言われるのが、自分たちの業務外だというのが一つの理由、もう一つは、その機関の本来業務に支障をきたすというもの・・・ いろいろ説得してもなかなかといった面があります。その場合は、名簿をもらって、対応ということになります。同じ、職員として、ちょっと(かなり)残念ではありますが。まだ、外国からの客を受け入れるということが、県にとってメリットだという感覚が低いのかもしれません。

 知事交流会議では、こんなマイナス面ではなくプラス面の資料を作らなくてはなりません。だから辛いんですね。私が知事だったら、「インフォメーションの拡充をすぐに行い、韓国語ボランティアの観光地やホテルへの派遣、観光アレンジ職員の配置を行ないますので、韓国からの観光客の皆さんが十分楽しめるものと思います。」と言えるのでしょうが・・・ 

 今日から韓国です。これが終われば、一つの区切りがつきそうですが、まだまだ、あるんですよ。


2004年11月7日

空に向けて伸びるこの木は、印象的 小石原村の伝産会館
その近くは紅葉が始まっていました その2
その3 その4

韓国語発音の限界

 私は、韓国語を話すのは結構好きで、仕事上、また、職場に韓国からの交流員がいるので、いつも話す機会があります。ただ、交流員とは、韓国語で話さないようにとは心がけています。韓国語がわかる人は、私の周りにいないので、2人で内緒話をしているように思われると嫌だと言うのが基本的な考えで、職場での共通語は、日本語なのにあえて、韓国語で話す必要はないと思っているからです。電話とか、来客とか、韓国語で来るので、そういう時は、待ってましたとばかり、韓国語で話をします。

 先日も県庁内で、福祉関連の取材をしたいというので韓国記者がやってきました。アポ無しですから無謀といえば無謀なのですが、結構、韓国ではこんなケース多いんですね。それはそれとして、通訳同行無し、結局私が通訳をするんですが、そこそこ通訳はできます。ただ、通訳と話すのは違うので、結構大変というか、ストレスは受けますね。特に専門用語・・・ わかる言葉に置き換えて話をし、後で、辞書で調べたり等々・・・

 韓国語を知らない日本人は、私の韓国語がとてもうまいと思っている方も多いようですが、実はそうではなく、一言、韓国の方が、私の話している言葉を聞けば、それが日本人または、在日韓国人の勉強した韓国語だとわかるんですね。たまに、わからない人もいるにはいますが。ですから、いまだに韓国語お上手ですねの域を超えていません。それは、自分でもよくわかっています。それはそれで、このごろ、割り切って、私たち韓国からとって外国人が、あまりうまく韓国語を話したら、あまりかわいげがないし・・・ と、負け惜しみのような理由というか、理屈をこねているところです。笑ってしまいますね。そうは言いつつ、毎日、チョウンセンガック(韓国語のエッセイ集)を読んで、辞書を引いていますが。


2004年11月6日

小石村の紅葉 その2
その3 その4
小石原村の緑 イベント会場

もうすぐ出発

 8日には、韓国へ出発するのですが、準備が進んでいません。どうなることでしょう。まあ、当然のことながら、残業、土日出勤になるわけです。昨日も11時過ぎまで仕事してましたし、今日も職場へ出勤です。職場より、自宅の方が効率がいいし、なんといっても職場へ移動する時間も省略できるわけで、自宅でするのがいいような気もしますが、書類は、職場にあるし・・・ みんなで話し合って話を進めたほうが効率がいいというわけで、結果的には、職場へ出るということになるわけなんですね。

 仕事は、あんまし忙しくない方がいいと忙しい時は思うのですが、まさに今そんな日々をすごしているわけです。でも、あんまし暇だと、それはそれで、仕事任せてもらえないと思うわけでしょうね。まあ、人間勝手だというところで落ち着くのかもしれません。まあ、そこそこ忙しくて、それでいて、所定の時間までに終わるというのがいいんでしょうが、そうなかなかうまくいきませんね。少なくとも、われわれは、それで生活しているわけですから、ある意味プロですから。やるときはやるよです。

 とはいいつつも休みたいですね。知事交流会議は、既に10回を越えています。私は、最初の会議から知っています。その頃から韓国と関わりがあったから当然といえば、当然のことなのですが、1年に1度、日韓の広域で、知事が顔をあわせるというのは、とても大事なことだと思います。海峡を挟んで、同じテーブルにつき、意見を交換するというのは、隣組の総会みたいなもので、同じ地域に住むものとして何が大事か、一緒に何をやっていくか・・・ そんな集まりですから。日韓の地域と地域の交流が、より活性化することを祈念しながら・・・


 2004年11月5日

小石原村の神楽 親子で実演をします
友人からメールで送ってもらった革筆、「和愛」と書いてあります。季節の挨拶と一緒に添えてありました。
きめ細かな作業が続きます 中学生による神楽
太鼓も披露されました(中学生) 当団員と中学生の記念写真

季節の挨拶に・・・

 韓国の友人が、花文字(革筆)をやっています。季節の挨拶にとメールに花文字を添付してくれましたので、民さんに紹介します。ちょっとしゃれているなという感じですよね。私も以前は、よく、メールに写真とか添付していたけど、HPを作ってからは、ほとんどそんなことないですね。仕事上で必要なときだけ、メール出していますから、ものすごく内容は簡単だし、HPを見てもらえば、大体、近況は、わかるだろう市という思いがあるからですね。でも、たまにこんなメールをもらうとうれしいですね。

 これからは、もう少し、もらったメールには、写真を添える等しようかとも思っていますが・・・ 小石原で陶芸の実演をしている方の多くは、親子でされていました。若い人が父親の跡を継いでいるのですが、陶磁器の魅力に引かれてということでしょう。韓国の陶磁器を作っている人とも、この焼き物は何度で焼いたのかという話題で、盛り上がっていました。同じ道を志す者だからですね。そういう意味で、大きなつぼを作ったウィジョン陶芸の金ギファン氏は、いい刺激だったようです。小石原には、彼のように大きな焼き物を作れる人がいないのだそうですから。

 小石原村の方は、とても親切で、私たちを窯元に連れて行ってくれたり、お茶を接待してくれたり等々・・・ 韓国の方もとても喜んでくれたのが私もうれしく感じたところでした。中学生が、バスで会場入りしたのです。子供たちが、神楽をしたり、太鼓をたたいたりと・・・ それに参加する子供たち、見学する子供たちがやってきたのでした。伝統文化は、子供たちにしっかり引き継がれているんですね。都会だとなかなかそうは行かないでしょう。


2004年11月4日

これから取材です タレントが準備をします
早速、みんなに試食を これはいける・・・
タレントとカンジャンケジャンの店のオーナー カナリヤラセ気味「カンジャンケジャン最高

結構強引に・・・

 国文祭の会場である小石原伝産会館での様子です。いきなり福岡在住の韓国の友人から電話がかかってきて、韓国の放送局が取材にきているんだが、協力してもらえないかという話。結構強引だなと思いつつ。ここは、小石原村なので、福岡からだと1時間半はかかるわけでそれでも来るというので、了承したのですが、一行は、「カンジャンケジャン」の店のオーナー、それにSBSの取材スタッフ2名、韓国のコメディアン(女性)、それに友人夫婦の7人。

 到着するや否や、テーブルがいるとか、テントのところに場所をとって欲しいとか、タレントが着替えるので着替える場所を提供してくれといった具合に、全くそんなアポ無しで、そっちに行くからよろしくといったそんな簡単な話ではないようなと思いつつ。ここで、カンジャンケジャン(醤油に漬けた生のかに)を試食してもらい、おいしい、普通、まずいといったぐらいに評価をしてもらうという企画。韓国でも結構この料理は高いのですが、おいしいので、時々食べていました。

 評価もおいしいが99パーセントで、残り2票が、普通、1票がまずいでした。その辺はやらせはないのですが、最後に、カムジャンケジャン最高・・・ といわせるところなどまさにやらせそのものといったところ、集まった中学生は、結構楽しかったようでした。試食した人の大半の人は、これでご飯があったらいいのにとか、男性などは、アルコールが欲しいですよね・・・ 確かに私も実感です。韓国でも、ご飯と一緒に食べますし、別名、この料理には、ご飯泥棒という名前もあるそうです。主催者の方に迷惑をかけましたが、会場も盛り上がったし、他の主催者の方は、喜んでくれたし・・・ いろいろあったけどこれで良しとすべきかと思っているところです。


2004年11月3日

カンジャケジャンの取材陣 みんなで行った韓一館
その前のオブジェ 二次会で行った韓国スナック
太鼓を堪能させて いただきました ありがとう

韓国にいるような・・・

 元々、韓国の仕事をしているので、韓国語で話す機会は多いし、韓国の方ともしょっちゅう会っているわけですが、ここ数日は、それでも韓国三昧の生活でした。韓国の方のアテンドだから当然だといえば当然のことですが。それでもソウル放送の方をはじめ、友人と食事をしましたが、韓一館という焼肉屋、二次会は、韓国スナック、そこで、韓国の歌をたくさん聴きましたし、韓国の伝統の太鼓も見せてもらいましたし、本当に、韓国にいるような錯覚をしてしまいそうでした。

 でも、日韓交流が進んでいる今、リトルソウルのような街が福岡にできたとしてもおかしくない話です。実際東京には、韓国料理店の集まる地区もあるようですし、逆にソウルには、リトル東京というべき、東部二村洞がありますし・・・ ただ、個人的には、あまり集まるのは好きではありません。そういいながらもソウルにいるときには、この東部二村洞に住んでいました。どうしても子供がいると、学校の関係で、この地区か、学校のある地区に住まなければならないわけで、仕方ないという面はあります。

 次回、駐在するとすれば、この地区に住む必要はないので、別の日本人がほとんどいない地区に住むことになるでしょう。その方が、楽ですね。いろんな意味で。ここ数日、イベントの関係もあり、ほんの数日なのですが、ずいぶん昔のような気がします。それだけ、密度が濃い仕事をしてきたというか、そういった暮らしをしてきたというか・・・ SBS(ソウル放送)の方の話はしてませんでしたね。後日、話をしたと思います。話したいことが多すぎて、なかなか追いつかないというのが現実ですね。話が多分、前後しそうですが。


2004年11月2日

慶尚南道の販売ブース 日を浴びて木がきれいでした
130年を越えるわらぶきの家 そこでいただいた抹茶 
内部は懐かしいたたずみ 周りの風景に溶け込んでいました

自然から

 小石原村に2日間いました。ほとんど会場内でしたが、夕食会まで時間があることもあり、せっかくだからというので陶磁器を作っている方が、私たち一行を招待してくれました。釜と販売店を見せてくれるというのです。早速、見学させてもらいました。130年を超えるという、わらぶきの民家を改造してそこで販売をしているのです。自然といったいになった感じで、建物そのものは、自然の中に溶け込んでいるという印象でした。

 抹茶なんて、そんなに飲んだことがないのですが、ここで飲むと違和感無く、おいしく飲めました。ここは自然がいっぱいです。情もいっぱいでした。初めてなのに、みんな親切で安らぐんですね。ただ、この建物を維持するのはとても大変なようでした。わらぶきを葺き替えるだけで、2000万円かかるそうです。それで、全体を葺き替えるのではなく、いたんだところだけをするとの事。それでも数百万円かかったそうで、維持するのは結構大変そうでした。

 裏には、自宅があり、その周りに木蓮が植えられていました。韓国の方曰く、韓国の大統領もかなわないよ・・・ それだけ、自然があり、韓国の木である木蓮もあるからですね。ただ、都会生活に慣れてしまった私にしてみると、近くにコンビニがないというのは、辛いところかもしれません。ただ、隣近所というか、みんな親戚のような付き合いをしており、そんな関係は、都会ではないよなと思ったしだいです。また、次回は、個人的に来たいと思いました。


2004年11月1日

ウィジョン陶芸の金ギファン氏の実演 その2
その3 遠くで見守る小石原村の窯元の方 完成、作品を取り囲む陶芸家 
2人がかりで作品は移動されました 他の作家の作った作品

さすがプロ

 製作実演が、このイベントの中でも一つの目玉になっています。その中で、実行委員会が一押しにしているのが、このウィジョン陶芸の金ギファン氏の実演でした。その実演は、2日間に2回行なわれましたが、やはり、人が集まってきました。陶芸がよくわからない私でもさすがと圧倒されました。こんな大きな甕をほんの20分ほどで作り上げるのですから。2日目は、東京からやってきた芸術関係の来賓の方がその製作をしている姿を見て、絶賛していました。本当に絵になりますね。

 彼は、寡黙で、製作中は、ほとんど話はしません。彼に言わせるとろくろの回転速度が、韓国のものが、3倍ほど早いそうで、日本では、作りにくかったと話していました。本来なら、もっと大きなものを作るのですが、回転が遅いため、それができなかったとの事。粘土は、人の好みによりますが、彼は、結構硬いものを使うそうです。他の陶芸家では、考えられない(小石原在住の陶芸家)との事でした。それだけ、彼は力が強いということなのでしょう。私も彼とは親しくなりました。私より7才下なのですが、他にも彼と同じ年の人がいるんですが。彼らとも仲良くなりました。共通していえるのは、みんなよく飲むということでしょうかね。

 彼らから、兄貴、兄貴と呼ばれ・・・ といいつつやっているのは、食事会場での通訳、飲み屋での通訳、家電店での交渉等々がメインだったような感じもします(食事等はご馳走になりました)。それでも福岡に来ていただいたので、気持ちよくすごしてもらえればと思っていましたし、そうすべきでしょうね。彼の実力は、小石原の人をはじめ、東京からいらっしゃった芸術関係者も評価していました。これからは、日本でのこうした実演等ももっと増えることでしょう。ちなみに、このつぼで、45万円だと話していました。消費者としては、そんなに芸術性は高くなくていいので、そうですね。1万円以内で買えればいいですよね。ちょっと(かなり)、あつかましい話ですかね。


   
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