コリアンダイアリー

○○韓国雑感 韓国は楽しい○○
  

 元福岡県ソウル駐在員の山下です(現在、県国際交流課在職)。韓国に住んで見ると、本当にいろいろなことがありました。楽しいこともありました。現在福岡なんですが、一韓国ファンとして皆さんに情報発信をさせていただきます。


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12月日記


2001年11月30日

作業風景

ロッテも始まりました

 ロッテもイルミネーションの設置作業が始まりました。ロッテの場合、毎年趣向を凝らしています。毎年違うんですね。昨年は、宮殿をイメージしていましたし、数年前は、サンタクロースをイメージしていました。今年は、まだ、作業中ですが、女性像が、いくつも並べられています。どんな風に仕上がるのか今から楽しみです。

 イルミネーションは、私だけではなく、冬のソウルというイメージを持ってくれていることに、嬉しく思いました。私と同じような感覚を持っている人がいるということに対して。


2001年11月29日

若者でにぎわう・・・

活気あふれる明洞

 ここは、明洞です。まだ、あたりは暗いのですが、まだ夜の7時です。南大門市場と比べるとずいぶん若い人が多いことにお気づきだと思います。中年の私は、当然圧倒されます。韓国では、若者の集まる地域がある程度決まっています。ここ明洞もそうですし、学生街である新村もそうです。

 福岡で言うなら天神というところでしょうか。ファッション街あり、食堂街ありと・・・ ただ商品は、南大門市場から卸してきているという話も聞きます。人の多さには圧倒されます。これが平日なのですから。

 日本からお客さん、特に若い女性は、明洞を目指す人が多いようです。私も何度か案内を頼まれたことがあり、案内をしました。必ずとい言うことはないのですが、明洞衣料を上げる人が結構多いようです。日本人客だけではなく、いつも多くの人でにぎわっています。どちらかというと、人ごみの嫌いな私は、案内しても店外で待っていることが多いですね。

 ただ、このパワーを感じていただきたいですね。若者パワーはどうもとい言う方には、東大門市場や南大門市場をお勧めいたします。やはり、韓国の力強さは、このあたりからきているような気がします。


2001年11月28日

寒さに映える鮮やかな光

永豊ビルに光の華が

 光のデコレーションが、始まりました。これがやはり、ソウルの冬でしょう。毎年これを見つけている私にとっては、とてもうれしい限りであります。これから、ぼちぼちあちこちで、この光のデコレーションの華が咲くことでしょう。ここは、私の勤務する職場の入っている永豊ビルの前です。先日、据付の模様を紹介したことがあるので、あ〜と思われる方もあるかもしれません。最も暗いので場所はわかりにくいでしょうが。

 このようなデコレーションは、あちこちでみることができますが、やはり私のお勧めは、ロッテでしょう(小公洞)。といいつつ、ほかをあまり知らないというのが実情かな。この機会にいろいろ見て回ろうかなとも思っています。

 97年に経済危機を迎えたときには、一斉に街から光が消えたという話を聞きました。経済危機下に贅沢だというものでしょう。そういう意味で、今年は、景気が悪いとか、成長率も2〜3%といいながらもまだ、街には活気があります。私のように、この光に希望をこめて見ている人も多いのかもしれません。今回は、永豊ビルからでした。


2001年11月27日

アパート内部(引越し前のもの)

停電です

 夜8時過ぎにいきなり電気が切れてしまいました。一部電気がついては、ついているんですが、それは、みな白熱灯、冷蔵庫、パソコン等々・・・ 完全な停電ではなく、電圧が下がっているようで、白熱灯もだんだん暗くなっていきました。玄関から外をのぞくと非常等が点灯し、エレベーターの数字がついたり消えたりしていました。途中で、非常用のベルが鳴っていたので、エレベターの中に誰か乗っていたのでしょう。よくみるとうちのアパートだけのようでした。とりあえず、管理室に電話をしようとしたのですが、通じません。仕方なく、階段を使って1階まで降り、管理人室まで行きました。

 管理人に尋ねるとわからない、今をメンテナンスを依頼しているということでした。復旧時間も当然わからないというやさしい言葉。その一言を聞くとまた、部屋に戻ることにしました。15階ですし、アルコールも少し入っているので、エレベーターが動くならエレベーターでというので、エレベーターに乗ったところ、乗ると、3センチほど床が、沈むんです。ドキッとして、飛び降り、階段を上り始めました。

 このようなことは、めったにありません。私が、今回の赴任で初めてですから。この日は、夜11時過ぎに電気がつきました。結局原因はわからなかったんですが。それこそ私は、最初に赴任していた1996年に一度停電があったことがありましたが、そのときは印象的でした。そのときは、あらかじめ、午前中のみという話がありましたが、実際は、夜の9時ごろまでの停電でした。さすがにそのときは、夏だったこともあり、近くの店に蚊取り線香を買いに行きました。自宅で使っていたものが電気式だったもので。今は本当にそんな停電はなくなりましたね。


2001年11月26日

イチョウの葉でうずもれる歩道

イチョウの葉をかき分けて

 風が強かった事もあり、イチョウの葉が急に落ちてしまいました。.山歩きをほとんどしない私としては、イチョウの落ち葉をかき分けていくというのも散策をしているような感じで、気持ちの良いものでした。ただ、掃除をする人にとっては、大変でしょうが。

 同じ県ではないのですが、韓国に駐在する某県の職員が匿名で、ホームページに日記を書き始めました。さすが、匿名というのはこういうことなのかという事がその日記を見てわかりました。本音で全部書いているわけです。自分の気持ちを正直にあらわしているというか、率直に書いているんですね。私も率直に書いているといいながら、人に見せるという事を前提にしているということと、県職員という看板をしょっているという事もあって、婉曲ないいまわしになっていますし、そもそもどろどろした部分は、避けていたような気がします。もっとも匿名でも気の小さい私は、そこまで大胆に書けないような気もしますが。

 読者の方の中には、もっと突っ込んだどろどろした話しが聞きたいと思われる方もあるかとも思いますが、このイチョウのように風にふかれて軽く飛ばされ、地面に落ちて踏まれても散策をしているようでよかったと思われるような、テーマで書いていこうと思っています。

 これまで、比較的、暖かかったのですが、これからまた、冷え込むという予想でした。これからソウルにいらっしゃる皆さんは、十分な防寒をしてお越しください。


2001年11月25日

ライブで聞くのもおつなもの

韓国のライブハウス

 私はライブというものに弱い方である。そんなに音楽が好きだということではないけど、疲れている時その疲れを癒してくれるのが音楽のような気がします。自分はできないから、子供達が引くピアノに耳を傾けるという事もあります。そんなにうまいわけではないけど、生ということでそれなりにといったところでしょう。ここ、明洞駅のすぐ近くにライブハウスがあるからと誘われいってきました。いわゆるホープチップ(生ビール屋)なのですが、ちゃんとステージもあります。歌は、1960年代から始まります。もちろんリクエストも受けてくれます。この日は、夕方7時頃から友人とこの店に行き2時間ほどいました。私は、韓国語をもう10年前に勉強した事もあり、その頃の歌が懐かしく思っていました。ちょうどその頃の曲を演奏してくれ、ちょっとその当時へタイムスリップしたような錯覚をしてしまいました。

 この歌手というか演奏家達は、30分ローテーションです。30分ごとにかわったメンバーはみんな違ったので、結構多くの人がいるようでした。他の演奏家は、店の中でくつろぎながら、他の演奏家の演奏を聞いたりとのどかな感じのするライブハウスです。昔の歌をよくご存知の方にはお勧めかもしれません。

 値段は、他のホープに比べるとやや高めですが、結構満足できると思います。


2001年11月24日

引越しはこうして

韓国での引越し

 韓国では、よくこうした引越し風景を見ることができます。韓国では、チョンセといって、2年とか、3年とか大きな金額のお金を家主に預け、家主は、そのお金を預金する等財テクに回します。その契約が切れると更新する場合もありますが、引越しする事になります。今は、金利が低いため日本のような月ぎめのところ増えてきているそうですが。まだ、主となっているのは、チョンセのようです。そういった事情もあり、引越しは日本と比べると多いような気がします。

 福岡では、あまり見ることのできないサダリというものがります。これは日本語に直すとはしごという意味です。実際には、はしごだけではなく、トラックに、はしごがついているわけで、消防車のはしご車を連想してもらえばいいかと思います。このサダりを使って荷物を下ろしたり、上げたりします。日本では、あまり見ない光景ではないでしょうか。このサダリ以外であれば、量が少なければ、アパートのエレベーター、階がそう高くなければ階段を使います。それからアパートによってはゴンドラを使います。ゴンドラというのは、屋上から、荷物のつめる箱状のものをぶら下げ、そこに荷物を積むというものです。


2001年11月23日

まずは自己紹介

近頃の博多会

 博多会については、以前も話題にしたことがありますので、覚えていらいっしゃる方もいると思います。この会ができて、10年をえました。もともと、福岡駐在経験の韓国人と福岡とかかわりのある日本人との親睦団体です。数年前までは、男性だけでしたが、近頃は、女性会員も少しではあありますが、入会しています。女性は、みな韓国の方です。日本人の方をいれるともっと女性会員も増えるのでしょうが、今のところそこまで積極的に加入はしていません。昨日、博多会を開催したのですが、近頃の取り組みについてお話します。

 まず、会費を忘年会や、新年会を除く他の例会の場合、一律、35000wにしました。その代わり、年会費を20000w徴収する事にしました。それとホームページを作っています。例会の案内をしたり、例会の報告をしています。これで例会に参加できない人も情報をえる事ができるようになりました。それとせっかくだから、日韓交流と、会の活性化のために若い方と交流をしようという事にしたことです。若い人にとっては、結構抵抗があるんじゃないかと思っていたのですが、私が心配する必要はありませんでした。この方は、呉貞愛(博多会幹事)さんの日本語の教え子で大学3年生の鄭京我さんです。おやじ連中を前に堂々と話をするのですから立派なものです。

 彼女にとっても、日本語の勉強をしていても、なかなか日本人と話す機会はないでしょうから、いい機会だったようです。当日は、例会の案内に若い女性が参加しますよと案内をしたせいでしょうか、盛会でした。一足早い忘年会のような雰囲気でした。みなさんもぜひ、博多会開催の時期ににソウルへおこしの節は、参加してください。博多会ホームページは、リンクしていますので、リンク先から入ってください。


2001年11月22日

日本人も多く訪れる慶福宮

韓国語の中にに日本語が

 友人と話をしていると、所々、日本語交じりなんですね。その友人は、別に日本語を勉強した経験はありません。それと言うまでもなく日本にも韓国から入った言葉があります。ノッポとか、チョンガとか、ノッポはノッピィといって高いという韓国語ですし、チョンガは、韓国語で独身の男性を指します。ただ、韓国では、韓国語を使おうという流れがあり、若い人は日本語を使わなくなりつつあるとのことでした。

 韓国に残っている日本語は、「満タン」「ばけつ」「いっぱい」「ねじまわし」「顔出し」などを会話で使っていました。やはり、本人は直接日本語を知らなくても日帝時代、日本語を強要されそのために韓国に残った日本語を子供が引き継いでいるのでしょう。

 今では、韓国では、日本語を勉強する人が増え、逆に日本でも日本語を勉強する人が増えました。その結果、会話の中に日本語が混じることがあるようです。私の職場の韓国人スタッフは、日本語がとてもうまいんですが、その会話を聞いていると面白いことがあります。韓国語と日本語が混じった会話なんです。思わず笑ったことがあります。

 エンジン調子がチョッタという言葉を使う人もいるのですが、エンジンは外来語ではありますが、英語ですし、調子は日本語、チョッタは、いいという意味の韓国語なんです。英日韓合作のボーダレス文章といったところでしょう。


2001年11月21日

郊外の風景

紅葉の季節です

 急に町の中が色づき始めたような気がします。多分、1週間釜山に行っていたせいかもしれません。こんなに、街中では色が良くありません。雨が少なかったせいだという話です。それでも目に紅葉は新鮮です。特にソウル市内では、イチョウが多いことから、黄色が目につきます。

 ちょうど、春のケナリが、夏に向かって明るい黄色の花が咲きそのあとは、目にまぶしい新緑になるのとは対照的に冬を迎えるイチョウはその葉を落とし、枝だけになってしまいます。もう、寒い凍てつくような冬が、近いことを知らせるような紅葉です。


2001年11月20日

どこへでも行きます

移動自動現金引き出し機

 イベント会場の横に停車していたこの車の中に自動現金引き出し機が設置してあります。この車は、ハナ銀行が所有しているもので、大きな催し物がる時にその傍らで、時々目にしていました。利用客もまあまああるようです。ただ、この手の機械は、銀行内だけではなくコンビニや地下道にも登場しています。それと日本人より韓国人の方がカードを利用して決済する人が多いというのも感じています。大きなお金を持たず身軽にカード決済というわけです。日常のスーパーでのショッピングや、3千ウオン程度の食事の計算までカードを使うようです。

 私は、どちらかというと現金派なので移動自動現金引き出し機の存在が嬉しいのですが、私は、そもそもハナ銀行に口座を持たないので、通帳を作る事から始めないといけませんが・・・


2001年11月19日

もうすぐライトアップ

もうすぐ冬のソウル

 3本のポール荷見える緑、赤、白の線の中には、ライトが入っています。このライトが夜にはいると市内を照らします。本日、設営をしていました。私は、出張から、重い肩にかばんをぶら下げ、重い足を引きずって、ソウルの職場へ戻ってきました。空港からタクシーで帰ってくれば良かったと思った時には、地下鉄に乗っていました。地下鉄専用のカードがあって、それの残額が100ウオンでした。空港から職場までたしか600ウオンか700ウオン。実は、韓国のそのカードは、少しでも残っていれば、最後は、どこへでも(どんなに高額でも)行けるんです。それならこの機会に使おうと地下鉄に乗ったのです。500ウオンか、600ウオン浮かせすために。

 今日は早く帰りたいなと思いながら、職場の前に行くとこの作業をしているじゃないですか。もうすぐすればライトアップされるでしょう。私は、韓国のこの冬景色が好きです。少し暗い気持ちでしたが、ちょっと嬉しくなりました。やはり思ったとおり、机の上には、たくさんの仕事がたまって、今日も遅くまで残業しました。


2001年11月18日

会場を視察する幼稚園児

いよいよ今日で閉幕

 長いようで短かった交流祭も終わりです。ホッとしました。このイベントの前から、土日休みがまともに取れない事もあり、つかれた状態でのぞんだものですから・・・ それに、会場では、色々な音が混じった騒音の中に立ちっぱなし、空気もあまり良くないとくればなおさらでしょう。入場者数は、目標の3万人を超えたそうです。ただ、かなり動員がいたようで、子供達が多かったという実感です。前回は、ビジネスマンが結構、来てくれたという印象があったんですが、今回は、多くの子供達と日本人と話しをしたい年配の方が少しいたといった感じでした。

 何はともあれ、終わってホッとした事もあり、体調もさえず、夕食を済ませ、そのまま9時ごろから寝てしまいました。夜中に目がさめて逆に眠れず、寝不足状態ですね。


2001年11月17日

アフターフィブも一緒に

2日続けて登場

 今回の出張で、この北九州市の職員(池永氏)と一番長くいたような気がします。そして一番利用したのがこのコンビニです。展示会場の地下1階にあります。飲み物を買いに行ったり・・・ この日は、アフターファイブにちょっと「かくうち」をしようということでこのコンビニを利用しました。つまみもそろっていますので、気楽に一杯飲めます。ちなみに一人4000ウオン(約400円)でした。

 これで明日の力、活力・・・ さあ、明日はいよいよ展示会も終わりです。何か最後というと早いなという気がしますが、やはり、ちょっと疲れ気味ですね。


2001年11月16日

今はやりのキムチバーガー

キムチバーガーはいかが

 マクドナルドに昼食を食べに行きました。韓国通の北九州市職員(池永氏)、すでに2回登場してもらっていますので、ご存知の方もいらっしゃると思います。その彼と今はやりのキムチバーガーを食べに行きました。キムチ味でピリッとした食欲をそそる味でした。これは日本でもはやりそうな気がします。

 セブンイレブンのおにぎりは、キムチ味のおにぎりがあります。ここのおにぎりも日本風に海苔がしゃきっとしたおにぎりです。ご飯もおいしいし、そこが韓国に受けたのかけっこう売れています。このキムチバーガーも人気は上々のようで、日本のおにぎりが韓国に来たように、韓国のキムチバーガーも日本に来るのもそう遠くではなさそうです。


2001年11月15日

福岡県ブース

これが福岡県ブース

 比較的シンプルでそれがいいと思っていました。展示品は、ポスターが6枚、博多人形4個、それに陶磁器、地方の民芸を少々、後、後方の薄型のテレビを使って県内紹介ビデオを上映します。もちろんパンフレットもありますし、ノベルティーも用意しました。ところが、こちらとしては、シンプルでスッキリしていると思っていたのですが、どうもそうではないようで、福岡県はさみしいですね。もっと人形飾ったら良いんじゃないですかとか・・・ 何人から続けていわれたのです。ただ、この民芸品は、みんな、ソウル事務所にある自前のものをみんな持ってきたのですから、どうしようもありませんが。

 それと、隣が、北九州市のブースで、同じポスターが2枚あるんです。まあ、北九州市も福岡県内にあるからなあ、よけいあるほうがprになるだろうと逆に思ったりもしました。PR用にこれを展示して良いよとか、これを配って良いよというものがあれば、ぜひ、当事務所へ送っていただくか、県庁の国際経済課に持ってきていただくとありがたいのですが・・・


2001年11月14日

釜山の焼酎

地元には地元の焼酎

 韓国にも地元の焼酎というのがあります。済州道であればハンラサンですし、釜山であればこのシウオンでしょう。韓国語でシウオンナダというとさわやかだとか、さっぱりしたという意味があります。例えば、暑い時に冷たいビールを飲んでもシオンナダですし、シャワーの後もシウオナダといいます。暑い時、熱いなべを食べ、汗をかいてもそうですね。

 地元の人は、地元志向が強いという事もあるのだと思いますが、地元の焼酎を良くのみます。私は、そんなに味は違わないと思いますが、ソウルで飲めないこともあり、釜山にくればいつもこれを頼んでいます。

 ちなみに、ソウルではこの焼酎を見ることはできませんが、ソウルで見ることのできる真露(ジンロ)はここ釜山でも見ることができました。ソウルでは、健康にいいといわれる(緑茶含有)山(サン)が、このところ人気が出て来たようです。私もソウルでは、私が山下だからだというわけではありませんが、山を愛飲しています。


2001年11月13日

開会テープカット

日韓交流祭(ジャパンフェスティバル イン コリア)開会

 いよいよ今日は,日韓交流祭のオープニングです。明日から、5日間の会期で、開催されます。会場は、釜山の展示・コンベンションセンターです。会場はとても立派な会場です。前回のソウルでは、大雪のため来賓が出席できませんでしたが、今回はそのような事もなく順調でした。来場者目標は、3万人とのことでした。始まってしまえば、半分終わったといいます。お疲れ様でした。実際に事務局を担当している職員は、ジェトロソウルセンターで夜遅くまで仕事をしていましたから、ホッとした事でしょう。

 福岡県からは、誰も応援にはきません。ソウルと違って、釜山市ですから、ホテル暮らしになるわけで、果たしてだいじょうだろうかという不安がありました。まあ、心配してどうなるものでもありませんが。福岡県の隣のブースは、北九州市のブースで、彼は一人で北九州市からやってきて、期間中やるといっていた事もあり、非常に心強く感じました。たしかに、この自治体のブースの中で、一人で担当しているのは、北九州市と福岡県だけというのも間違いなさそうでした。


2001年11月12日

新しくなったタクシー乗り場

タクシー乗り場も新しくなっています

 これもワールドカップを意識したものでしょう。この乗り場は、まだ、ベンチがついていませんが、あとベンチがつけば完成です。これまでのものは、屋根がついていましたが、ベンチはありませんでした。市内いっせいに工事が始まりました。どれもみな、同じ形のタクシー乗り場です。従前のものより、目だったつくりになっています。韓国のタクシーは、時間帯によって、乗るのが難しい時間があります。大体、12時近くになるとかなり待たなくてはなりません。20分、30分もざらです。それから、急に雨が振り出した日とか、日曜日の昼過ぎから、夕方にかけて、大きな教会がある通りは、本当にタクシーを見つけて乗るのが大変です。夜も結構遅くまで、バスはありますので、バスを利用をお勧めします。そういえば、今日、ソウル市内で大規模なデモがあっていました。タクシー労働組合によるものでした。あまり、タクシー運転手は優遇されていないからなと私も思っていました。先日から、タクシー料金は値上げされたのですが「ソウル市内のみ)、従業員の給与はそう上がったわけではないとか・・・

 明日から、第2回の日韓交流祭が釜山で開催されます。福岡県も出展しています。ただ、こちらで担当するのは、私だけですので、開会期間中、ずっとプサンにいる事になります。準備と後片付けがあるので、今日から出発する事になり、19日まで現場に詰めています。もし会場にお越しの方は、ぜひ声をかけてください。会場は、釜山に9月にオープンした展示場です。パソコン不調のため今回は、パソコンを持っていきません。会場の様子については、19日以降お知らせします。


2001年11月11日

ワールドカップ公式ショップ

ワールドカップ公式ショップ登場

 ソウル駅の敷地にワールドカップ公式ショップが登場しました。朝早かった事も有り、来客者はいませんでしたが、いよいよ来年、ワールドカップなんだと実感させてくれます。いろいろ街の中も道路工事が始まりました。タクシーの運転手によると、ワールドカップのためだそうです。外国語翻訳サービスも始まったとのことでした。それは、韓国語のわからないお客がのりこんでくると、携帯電話で翻訳をしてくれるのだそうです。このサービスは、無料で受けることができます。

 このワールドカップのために道路は、きれいになるし、タクシーでは、外国語で対応してくれるサービスまで準備されており、旅行者としては、ますます、訪問しやすくなったと言えます。やはり、相互理解をするためには、お互いに訪問して実際に触れ合う事が必要だと思います。ぜひこの機会に韓国を訪問してください。


2001年11月10日

新しい国内線の表示

国内線が新しくなりました

 今回は、自治体国際化協会主催の地域活性化セミナーのためウルサンへパネリストとして行きました。ギリギリまで仕事をしていたので、結局タクシーを使って空港に向かいました。ソウルの国際線が金浦空港から仁川空港に代わったのは、今年の3月29日でしたから、もう7ヶ月近くなります。金浦空港には、国内線があるわけですが、数日前まで従来の国内線を使っていました。それが、従来、国際線第1ターミナルとして使っていたものを国内線として改装し利用するようになりました。タクシーの運転手も急に変わったため標識等も十分でなかったので、最初のころは、迷ったと話していました。韓国は、時々そういうことがあります。急に、かわるんです。なんの前触れもなしに。そこが韓国らしいのですが。

 国際線第1ターミナルというとJAL便が、ここでしたから、利用された方もあるかと思います。特徴としては、広々としたスペースと商店。それと子供(幼児)用の遊び場があるところでしょうか。いい絵が飾ってあるなと思ってのぞき込んでいたところ、それは、売り物だということでした。こんな広々としたきれいな空間で、きれいな絵を見るとつい衝動買いをしてしまいたくなります。ちなみに、出発ロビーにそれは、展示されていたのですが、出発する時に買う人はいるのかなと思いながら、でも到着したら、さっさと目的地に行ってしまうから、やはり、出発まで、空港ロビーにとどまる、出発ロビーの方が良いのかなと思いました。


2001年11月9日

駅の待合室

大田駅の待合室

 大田市は、93年にエキスポがあったところです。科学技術の中心的なときといえます。韓国テクノマートもありますし。優秀な大学研究期間の集積があります。科学産業都市といえると思います。93年当時の建造物も一部残っています。セマウルと言う特急でソウルから約1時間40分の距離にあり、鉄道庁や、特許庁なども数年前に移転してきました。ソウル一極集中を防ぐためだそうです。私の友人もここ太田にある特許庁で勤務していますが、家族は、ソウルに残し、単身で、こちらで暮らしているそうです。また、鉄道庁の友人は、毎日、セマウルで通勤をしているそうです。すでに、ソウルで生活をしている場合、そう簡単に生活拠点を地方に変えるというのは難しいと言う事でしょうか。それだけソウルには、魅力があるのでしょう。

 ここ大田市は、科学都市としてやっていくと言うだけあって、駅の待合室には、30台ぐらいのパソコンが設置してあります。もちろん有料ですが、それほど高くありません。チャットをしている人、メールをしている人、ゲームをしている人とさまざまでした。当たり前の事かもしれませんが、みんな、パソコンを大事に扱っていることでした。ラクガキや、壊れたものは1台もありませんでした。利用しているのは、10代後半から、20代と言ったところでした。 


2001年11月8日

熱の入る県内企業商談風景

第2回WTAテクノマート開会

 第2回WTAテクノマートが大田市で開催されました。WTAと言うのは、93年にエキスポが開催された時に、これを機会に今後とも交流をしていこうということで司会各国の都市、地域、団体が作った組織の事です。日本では、岐阜県を始め3つの自治体が加入しています。残念ながら、福岡は、入っていません。この展示会は、ブース代が無料なんです。商談を求める人には本当にいい機会だと思い、prを県にしたこともありますし、主催者が直接福岡県を始め、北九州市や、大分等へ訪問説明を行っています。福岡県からも数社が出展していました。私の方も韓国企業を紹介した事もあり、会場へ足を向けました。県内企業さんが、熱心に売り込む事もありますし、韓国企業も熱心で、結構いい線までいっていることが一目でわかりました。こんな時、マッチングできる企業紹介ができると言う事は、嬉しいものです。

 逆の場合は、辛いものですが。県内企業の皆さんのために頑張っています。何かございましたら、福岡県国際経済観光課を通してご相談ください。国際経済観光課は、県庁代表(092)651−1111へ電話願います。


2001年11月7日

バスから撮影、東亜日報社ビル
白い明かりが寒寒としてました。

急に寒くなりました

 ここ3日ほど前から、急に寒くなりました。それまで13度もあったのですが、急に3度になり、今日は、零度です。韓国は、急に真冬になります。ただ寒くても風がなければそれほど寒く感じません。寒さもきりっとした寒さなので、気持ちがいいほどです。それも外を歩く間だけですので、それほど苦になりません。私は、コートを着るのがあまり好きではないので少々寒くてもコートを着ません。実は、今年の1月出張(県のミッション事務局として)で、中国と東南アジアに行ったのですがそのときは、ソウルは、マイナス13度でした。さすがにコートを着ていこうかと思ったのですが、東南アジアは、暑いからコートは不要だと思ったので、コート無しで行きました。さすがにそのときは、寒かったですが・・・。

 外は寒いのですが、職場をはじめビルの中は暖房が効いていますし、自宅もオンドルで快適です。アパートそのものもベランダに窓ガラス、その間にもガラスがあり、寒さに対して強い作りになっています。

 我が家のベランダで飼っているウサギも寒そうにしているので、夜は、そろそろ部屋の中に入れてやらなければならないようです。 


2001年11月6日

左が通訳、右が講師

こんな日もあります

 朝方、何か忘れたなと思いながら、バスに乗り込み職場へ到着。毎週月曜日は、所内会議があるので、少し早めに職場へ向かいます。月曜日は、他の日に比べて、こむということがありますし、事前に予定をチェックして、会議に臨みたいと思うからです。案の定、携帯電話を忘れていました。時計を持たない私としては、携帯電話は時計の代わりでもあります。今日は、午前中に会う人がいて、そちらから携帯に電話が入ることになっていたので、早速自宅に連絡・・・ 昼からは、ジェトロセミナーがあり、そこで司会を担当するので、やはり時計は必要。電卓と時計が一緒になった物を購入。天気が悪いこともあり、入場者は、予定よりも少ないし、おまけにテーマが依頼したものから大きく外れている。所長から怒られるだろうなと思ったら案の定。中に入ったコンサルタント会社が悪いのではなく、講師が、日本人に対して話すのは初めてだというので、自分の思いをそのまま伝えたというのが実情。現に、話してほしかった内容は、すべて、資料という形で添付されているのですから・・・ 結局、韓国の友人に誘われて飲みにでたのですが、仕事のことが気になり、7時半にまた職場に戻るという、中途半端な一日でした。こんな日は、本当に憂鬱。


2001年11月5日

友人夫妻とお店

アリランデジタルフォト

 以前駐在した頃からの友人が経営しているのがここアリランデジタルフォトです。デジタルになったのはここ2週間ですが。江南では、かなりこのデジタルフォトの店ができているということでしたが、この辺では初めてではないでしょうか。彼とは、週に1度一緒に食事をします。年が同じこともあり、結構親しくしています。

   デジタルフォトは、デジカメで撮った写真を印刷するわけですが、いろいろ加工もできます。シールにしたり、カレンダーに加工したり、色調をいじることもできます。画素に関係なく、きれいに仕上がるそうです。価格も日本に比べると安いようです。場所は、プレスセンター(ソウル新聞社)の裏、コーロンビルの横並びにあります。ロッテホテル、プラザホテル、ニューソウルホテル、ニュー国際ホテル、コリアナホテルが近くにあり、このホテルに宿泊されるのでしたら、一度ご利用ください。時間は、27分しかかかりません。電話番号は、755−4722です。


2001年11月4日

お幸せに・・・

結婚式へ・・・

 私は韓国での結婚式は、3回目になります。それも最初の駐在のときですから、ずいぶん前の話です。その頃は、ホテルでの結婚式は、贅沢だというので礼式場で行われるのが主流でした。最近では、ホテルでの結婚式が許可され派手になっているという話は聞いていたのですが… 出席する機会がなかったのでどんなものか知りませんでした。職場同僚の結婚式があり、本当に久しぶりの結婚式です。500人ぐらいの人が出席していました。コース料理。生のバンドも来ているし、本当に盛大な結婚式でした。日本の結婚式と違うのは、結婚式には案内状を出しますが、出欠の確認はしません。当然のことながら、席は指定席ではありません。自由に座ります。今回は、ジェトロの席ということで2テーブル確保してもらっていたのですが1テーブルは、他のお客さんが座わっていたため座ることができませんでした。そういう意味では、指定してもらった方がいいですね。座れなかった人は、別室で食事をすることになります。それと、都合によって、それぞれ、引き上げていきます。最初の挨拶も最後の乾杯もありません。最初に2人の結婚の意志を確認し、それで2人の結婚を認めるというものです。人前結婚ですね。それから、一人の男性から、結婚生活についてのアドバイス的な話があってそれで終わり、あとは日本と同じようなケーキカット等があるだけです。

 それと違いといえば、披露宴会場で記念写真をとること。披露宴のあと、親族だけで、ちょっとした儀式があることでしょうか。うまく説明はできないのですが、新郎が新婦をおんぶしたり、新郎が、新婦の母親をおんぶしたりといった儀式があります。おんぶするのは、きっとこれからは、私(新郎)が、あなたのことを責任持っていきますというような意味がこめられているような気がします。新しい門出、お二人の幸せな生活に乾杯!!


2001年11月3日

和やかなクラスで、和気あいあいと

明知専門大学へ行ってきました

 この大学の講師(呉貞愛さん 写真左端)は、福岡県人会である博多会の幹事のひとりです。大学では、教養日本語を担当しているとのことで、私が、事業の一部を使って福岡県のPRをすることになりました。大学で話すのは、外国語大学、済州大学に続き3校目になります。外国語大学では、日本語だけで話したクラスと、日本語と韓国語を混ぜて話したクラスがありましたが、明知専門大学では、韓国語だけで話しました。受講生は、21人で、教養として日本語を勉強しているのですが、勉強を始めたのが、今年の9月から、それとここ3週間は、試験や学校行事で授業はあってなたとのことで久しぶりの授業だそうです。30分ぐらい話をさせてもらいました。私が日本で韓国語を勉強したときもそうでしたが、なかなか韓国の人と直接、韓国語を話す機会というのが少なかったような気がします。ここで勉強している人もきっと日本人と話したことはないんだろうなと思いながら・・・ 日本語というか、外国語を勉強するというのは、言葉だけではなく、文化をはじめその国のことを理解することが必要になるわけで。日本語を勉強している人がいるということは、日本を理解しようとしている人がいるということだと思います。そんな人が増えれば日本と韓国はもっと近くなることでしょう。

 30分間、話をしたら、結構、喉が乾くんですね。大学の先生は、すごいなと思いますね。長い時間たちっぱなしで、話をするというのですから。大学の先生は頭脳労働というより肉体労働ではないかなという気がしました。学生の皆さんが、熱心に聞いてくれたこともうれしかったし、若い方に福岡県のPRできたことも良かったと思いました。  


2001年11月2日

日本語学校教師と韓国企業勤務

韓国好きの集まり

 九州経済調査協会の担当の方(昨日登場の平田さん)は、とても韓国が好きな人です。日本では年1、2回しか会っていなかったのに。韓国では、今年だけで、4回ぐらい会っているような気がします。類が類を呼ぶというわけで、彼女のお友達も韓国好きが多いですね。まあ、私もその一人でしょうが。せっかくだからというので、集まって食事をしました。韓国で日本語の先生をしている方、それと韓国企業に勤めている方。それに、私の4人です。みんな韓国好きなんですが、何で韓国では、そうなんだということが話題になりました。私だけでなく、みんな同じように思っているんだなと思いました。たとえば、もちろんみんながみんなじゃないのですが、約束時間に遅れても謝るより、言い訳が先に出るということ。そういえば、韓国の諺に「言い訳をしない墓はない」というのがあります。これは、「誰でも言い訳をする」という意味なんです。こんな諺日本にはないような気がするし。食事をするとき、何であまるほど出すのかということについては、いろいろ話をし、そのときの結論は、やはり、韓国は日本と違って、大陸の半島の国だから、いつ、大陸から襲われるか分からない。それなら、食べれるときにたくさん食べておこう。今を楽しもうという感覚が自然と昔から強いんじゃないかということになりました。そういえば、イタリアも韓国の方と似ている面が多いという話を聞いたことがあります。

 そのほかにもいろいろ出ました。みんな同じように感じているんだということをその時実感しました。ただ、こちらに生活していると慣れてしまうんですね。約束も○○時とはしません。○○時頃というふうに。それに携帯電話が普及していることもあり、電話で確認も取れますから。遅れるなら、遅れるで、その時間、他のこともできますから。ただ、携帯電話番号を知らない。持たない人もまれにいますから、そのときは、ちょっと困りますが。でもたとえ遅れたとしても、慣れでたとえ30分遅れたとしてもいろいろ都合があって遅れたんだろうと思うことができるようになったからです。個人的な友人に対してはの話ですが。

 ビジネスとなると話は別です。私は、ビジネス上の約束は、30分単位でしていますから、30分遅れてきた場合、他の人との約束があれば、改めて約束しなおすということになり、相手の人にとっても時間の無駄だと思うからです。韓国のビジネスマンをフォローしますとほとんどの人は時間厳守です。ビジネス関係で、連絡もなく時間に遅れた人は、これまで数人だけですし、約束時間を改めて決めなければならなかった人は、私がソウルに勤務してほんの2人だけですから。


2001年11月1日

向かって左が平田さん、右がチョウさん

久しぶりの通訳

 シンクタンクのアンケート調査のために九州経済調査協会の平田さんが訪韓。事業が、福岡県の委託事業であることから、私も対外経済研究院へ同行、ただの同行ではなく、通訳として。知事の通訳とか、副知事の通訳は、やはり、ステイタスの面もあり、専門の通訳をつけます。それと、商売の話は、自分に責任がかかってくるので、できるだけしないようにしています。それでも急な場合は、仕方なくすることがあります。福岡県の事業の場合は、県の事業ということもあり、私がすることが時々あります。今回、久しぶりの通訳です。会話では、特に問題にならないようなことても通訳となるとこれが違うんですね。私の友人の通訳者に、こうじゃなくてこうだよ何て話をしたことが改めて恥ずかしく思いました。というのは、メモをとっているんですが、その自分が書いたメモが読めない。頭が混乱してボーとすることがある。韓国語でその意味がわかるが、日本語の名前を知らない。その逆もある等々。時間的には、1時間程度だったんですが、久しぶりだったこともあり、とても疲れました。帰りのタクシーの中で、ちょっと寝ました。もっと韓国語がんばろうと思いました。それと、言葉ができるから、それまで話せなかった人と友達になれ、自分の世界が広がったというのは、とてもうれしいですね。  


       
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