コリアンダイアリー

○○韓国雑感 韓国は楽しい○○
  

 元福岡県ソウル駐在員の山下です(現在、県国際交流課在職)。韓国に住んで見ると、本当にいろいろなことがありました。楽しいこともありました。現在福岡なんですが、一韓国ファンとして皆さんに情報発信をさせていただきます。


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2001年10月1日

熱唱する子供たち

ノレバン

 簡単に食事を済ませ、ちょっとノレバンへ。この、ノレバンというのは、「ノレ」は「歌」、「バン」は「部屋」を表します。日本でいうカラオケボックスですね。店によって違うのですが、ここは、1時間15000wです。人数は関係なく、一部屋の料金です。最初にお金を払い、部屋に案内してもらいます。今日の部屋は結構広い部屋でした。10人以上ゆっくり座れるスペースがありました。これも店によって違うのですが、日本語の新曲をたくさん用意しているところと韓国語の歌しかないところがあることです。この店は、日本の新曲も結構そろっているようでした。

 部屋に入ると日本とほぼ同じカラオケのセットがあります。残り時間表示は、70分とありました。10分間サービスですね。子供たちが、歌うモーニング娘の歌にはさすがについていけません。大きな声で歌って、いいストレス解消になりました。子供たちもそのようでした。途中で、また、時間が延長されましたという表示が出ました。サービスなんだなと思いながらその時は気にしていなかったんですが、予定時間を終え、店外に出るときに、店主が私にはありがとうございましたとしかなかったんですが、妻には、他に待っている客もあったけど時間延長しましたと話をしたそうです。聞くと、妻は、数日前にも利用したことがあるとのことで・・・ タンゴルなんですね(タンゴルとは、常連客のこと)。ちなみに、後で分かったのですが、待っているお客さんというのは、妻の友達だったそうです。

 ちなみにこの店は、缶ビール2000w、ジュース1000wで販売されています。


2001年10月2日

キーボードはタッチパネルで

無料でインターネット

 韓国へ来られた方の中で、この写真を見たことがある方も結構あると思います。空港には、すでに設置されてありますし、コエックス(展示場)の中にもあります。これは、コエックスモールのものです。画面がタッチパネルになっています。これで無料インターネットができるのです。太っ腹とお思いでしょう。私もそう思います。重いパソコンを持ち歩かなくてもこれさえあれば、いつでもメールの確認ができるのですから。もちろんメールを送信することもできます。ただ、この場合は、どこでも開けるメールが必要なわけで、たとえば、MSNのホットメールとか、ヤッフーとか、ダウンネットとかで、無料の自分のメールアドレスを持つ必要があります。福岡にも早く欲しいものです。前回、日本へ帰国したとき、連絡したくても連絡ができませんでした。携帯はつながらないし、かといってメールをしようと思ったら、職場まで行かないといけないし・・・ 

 韓国から、家族や友人にメールを送るというのもちょっとおしゃれだと思いませんか?ちなみに普通、利用していない間、画面には、広告映像が流れています。その広告主が経費負担をすることにより無料インターネットができるそうです。


2001年10月3日

おいしそうな果物

秋の味覚

 韓国の野菜果物は、日本のものに比べてとても甘い。にんじんも生で抵抗なく食べることができます。子供たちも自然に野菜を食べるところを見ると、やはり、韓国の野菜は本当においしんだと実感するところです。路地では、こんな果物売りの姿も見ることができます。私の友人もおいしそうだったということで、つい衝動買いをして、梨を10個も買っていました。ここで買わなくて、自宅近くでも売っているだろうから、そこで買えばいいのにと私が言ったところ、何で買う前に言ってくれないんだと言われてしまいました。衝動買いするほどおいしく見えるんですね。特に、この時期の果物は、おいしいですね。私のお勧めは、やはり梨です。昔は、梨といえば、全羅南道の羅州の梨といわれていましたが、最近ではここに限らずおいしい梨がとれるそうです。一度、韓国の梨を味わってみてください。


2001年10月4日

エレベーター登場

老弱者用エレベーター

 日本では、こんな表現はしませんが、韓国ではこのような表現をします。近頃、このようなエレベーターが増えました。福祉制度は、経済との関係があるので、どうしても後回しにされるという傾向があります。世界的にIT産業の低迷ということで、ITに特化している韓国経済についても厳しいものがあります。それでも以前に比べると余裕ができたということでしょう。このようなエレベーターが設置されたのですから。

 友人に言わせると、施設については、お金がかかるから、経済状況のうんぬんということが関連してくるけれど、韓国人は、障害者のことを知らなすぎる。それだけ、障害者が少ないのか?

 そんなことはないのです。障害を持つ人は、人口に応じてそれ相応にいるわけですから。儒教の考え方を強く持つ韓国人の方は、障害を持つ人を外へ出さないようにする。外へ出そうと思っても受け入れ施設が少ない。市内を歩き回ろうとしても段差があって、エレベーター等がなく車椅子が利用できない。障害のある人を街の中で見ることができない。障害のある方への理解ができない。その悪循環のような気がします。それで友人のような単純な疑問が出てくるのだと思います。

 日本の場合、経済的に余裕があったこともあり、まだ不十分ではありますが、障害を持つ方が暮らすための環境整備はある程度できていると思います。韓国にも早くそのようなときが来ることを願ってやみません。

 韓国にも障害を持つ方の施設がソウル市内にもありますが、そこで、ボランティア活動をしている人がたくさんいること、市内では、清掃作業ボランティア等々、が活動していること、そのことを皆さんにお知らせいたします。


2001年10月5日

電光掲示板に番号が

国税庁地下食堂

 ここは、国税庁地下の食堂です。国税庁は、私のいる永豊ビルの道をはさんでまん前のビルです。ガラス張りで近未来的な建物だから、見てすぐわかると思います。こんなところに国税庁が入っているのかとびっくりする方も多いと思います。この食堂の特徴は、まず、窓口で、料理を頼み、お金を払います。すると、コンピューターでつながっていて、そのまま、厨房に予約が行きます。それをもとに、料理されるわけです。料理が出来上がると電光掲示板に、お客さんの番号が表示されますから、その時点で、厨房の受付に料理を取りに行けばいいのです。同様のシステムは、総合展示場のコエックスでも採用しています。コエックスとの違いは、コエックスは、早い時間からアルコールを出していたのに対して、国税庁の地下は、3時からでした。それと国税庁の地下は、生ビールだけでした。


2001年10月6日

中央の女性が同僚

久しぶりの同僚

 昔、私が、ソウルで勤務していたときの同僚が、久しぶりに事務所を訪問してくれました。彼女は、結婚して、東京で生活をし、アメリカに渡り、出産。久しぶりに韓国に戻り、これから、日本へ戻るとのことでした。ご主人がまだ、東京大学で勉強をしているため日本への帰国です。94年当時は、まだ、独身でした。それから、結婚。今回は、子供連れなんですね。時の流れを感じました。この子は、アメリカの市民権を得ていますし、親2人は、当然、日本語、韓国語、英語を使い分けるのですから。やっと韓国語を使う私としては、3ヶ国語なんて奇跡のような気がしました。

 それと同じ日に、その当時一緒に勤務していた人もやってきました。今は、ジェトロを辞め某研究所の研究員をしているとのことでした。偶然というか、こんなこともあるんだなと実感しました。こういうのは、偶然ではなく、運命なのかもしれません。


2001年10月7日

私が戒田です。石川県へおいでください!!

たくましい女性

 彼女は、1年前から全羅北道の道庁(全州市)で勤務をしている石川県庁職員の戒田さんです。石川県と全羅北道は今年9月に友好交流を正式に開始しました。その先駆けとして、全羅北道庁(全州市)に派遣されています。私のように日本人組織に派遣されている者は、一日中、日本語を使わないということはまずありません。日本人同士は、日本語だし、自宅に帰れば日本語ですし。でも道庁では話が違います。日本人が一人だけだから、どうしても韓国語が中心になります。それに、いい意味でも悪い意味でも日本の代表選手なのですから、教科書問題のようなことが起これば、いつも針のむしろなのですから。

 四半期に1度ぐらいの割合で韓国内に勤務する公務員の集まりがあります。33人中4人が女性です。私が知っている限り、4人中3人は、既婚者で、ご主人を日本に置いての韓国駐在とのことです。
 今回は、次の日、早朝に業務のため日本へ帰国をしなければならないということでソウルに来たとのことでした。日本では
知事の通訳をするそうです。やるときはやるよという方が、韓国には多いようです。はっきり決断ができるというか。大胆と
いうか。こんな決断のできる自分の意思を持った女性がどんどん増えてくるのでしょうね。実感しました。


2001年10月8日

手前に花畑、奥に樹木が続きます。

植物園

 久しぶりに子供を連れて漢江市民公園に行ってきました。今日は、朝からイベントがあっているからということでとりあえず行って見ようと言う事で足を運びました。途中で、横断幕があり、この地区のウオ−キング大会が開催されたことを知りました。早朝7時半から10時半ですから、私たちが出かけたときには、昼過ぎですから当然終わっているわけです。公園まで、歩いて、15分ぐらいの距離にあります。河川敷を利用していますので、遊具のある公園施設。芝状態で何もない広場、ローラースケート場、アイススケート場(冬場だけ)、プール(夏場だけ)、テニスコート、バスケットコート等があります。その施設の中に、市営の植物園があったのです。結構、ここへは来るのですが、新しい発見でした。たくさんの植物が植えられています。それぞれ植物の名前も書いてあり、看板には、自然学習場と書いてありました。多分、四季によって花も変わるのでしょうから、時々見に行こうかなと思いました。


2001年10月9日

これが人参茶

風邪には

 季節の変わり目でしょうか、先日から風邪を引いてしまい、なかなか良くなりません。韓国の人だったら、もちろん病院へ直行する人も多いのですが、薬局を利用する人も結構います。薬局で症状を説明すると薬剤師が、薬を調合してくれるのです。値段もそんなに高くありません。そしてそれが結構効くんです。日本の薬に慣れている人にとっては、強すぎるような気がします。そういうこともあり私たち家族も薬は、日本の薬を使っています。薬と病院の嫌いな私もさすがに仕事に支障が出てきたので、日本の薬を飲み始めました。それと私は、風邪を引くと人参茶を飲むことにしています。結構これがいいみたいです。そんなにすぐ効くわけではありませんが。明日には、少し症状が軽くなっているといいのですが。

 人参茶をまだ飲まれたことのない方のために・・・ 人参茶は、正確には高麗人参茶です。普通の赤い人参ではありません。これが、1回用袋に入っています。顆粒状態です。私の飲んでいるものは、一袋3グラムですね。それを湯飲みに入れて、お湯を入れるだけです。あと好みによって、蜂蜜などを入れて飲む人もありますが、高麗人参の風味を味わうのであれば、そのまま飲むのがおいしいと思います。昔は、タバコ人参公社が作っているものがいいといわれていましたが、今は、差が無いように思います。一度お試しください。


2001年10月10日

結構ボリュームがあっておいしい

ヘムルモヅムチョルパン

 ヘムルは漢字で「海物」、モヅムは、漢字はなく、「すべて」という意味で、チョルパンは、漢字で「鉄板」です。すなわち、海産物の盛り合わせの鉄板焼きといったところ。肉もいいけどという人にはお勧めだと思います。

 韓国の友人から、日本でもこのような「かいぶつ」を食べるのかと尋ねられて、返答がすぐにできませんでした。私の頭の中では、「かいぶつ」は、「怪物」だったからです。そうしているうちに、「かいぶつ」は、「海物」であると説明を受け、それならある旨答えました。とんだ「かいぶつ」違いです。海産物が、豊富にはいっていました。味もそこそこおいしかったし、一人前6000wという価格も魅力です。最後にご飯を追加して、焼き飯にしてもいいですね。ご飯1000w。場所は、江南区大峠洞944−24です。電話番号556−7844 店の名前は、コレパプサンです。日本語に直すと「くじら膳」でしょうか。


2001年10月11日

きれいな花屋さん

世宗文化会館横の花屋

 世宗文化会館は、文化公演会場です。こで、演劇があったり、コンサートがあったりします。その横にとてもきれいな花屋があります。規模も結構大きくて、いつも花がたくさん飾ってあります。買うことはないのですが、目の保養には、もってこいです。写真までとって、後からまた楽しもうというのですから、あつかましいかも知れませんね。なぜ、この花屋にはいつも花が多いか。考えてみると簡単なんですね。世宗文化会館で使うからいつもたくさん用意しているわけなんです。私は、単に目の保養ができるからそれはそれでいいのですが。

 それと単純な疑問なんですが、世宗会館は、世宗路に面して建っていますが、その道路に立っている銅像は、世宗大王ではなく李スンシンだということが、ちょっと気になるところ。


2001年10月12日

くつろぐ皆さん

憩いの場

 ソウルというとアスファルトジャングルを連想すると思いますが、実は、そうでもないということに気が付きます。ソウルのあちこちにこのような場所を見つけることができるからです。ちょっとした憩いの場といったところです。ビルの谷間にこのような場所があるとホッとするというのは言うまでもありません。都会は、緑も少なく、土もほとんどなく、あわただしく、ぎすぎすした感じを受けます。そうした精神的ストレスを減らすためでしょうか、先日話をしましたオブジェをはじめ、このような憩いの場を設けているのでしょう。私は、ほとんど利用しませんが、利用してくつろいでいる人の姿を見ると私の方も心にゆとりのようなものが生まれるから不思議です。旅行で疲れたときは、ここで休んでみてはいかがでしょうか。  


2001年10月13日

左から、2代目の金さん、4代目の鄭さん、3代目
の姜さん、初代の姜さんです。写真は合成です。

国際交流員

 福岡県では、韓国から93年から国際交流員を受け入れています。既に、4代目の方が、福岡県で働いています。先日、現在、福岡で、勤務している鄭現心さんが、事務所を訪問してくれました。うれしい限りです。職場には、だいぶ慣れたということでした。いろいろ話しているうちに歴代の交流員の話になったのですが、考えてみると私は、初代から4代目までの交流員をみんな知っているんですね。あの人は、今、福岡で結婚して、そうそう、一時帰国したときに一緒に飲んだよとか。あと、2人は、ソウルで活動していて、先日、会ったねとか言う話になりました。私は、92年から、韓国関連の仕事をしているのですからそうなるんでしょうね。この国際交流員の方は、本当に福岡ファンというか福岡を大事にしてくれる人たちです。何かあれば、頼めるし頼もしい存在です。また、このような交流員だけではなく、福岡へ留学したことのある人、福岡に駐在経験のある人は、福岡との韓国との掛け橋ですから大事にしなくてはと思っています。そういう意味で、交流員や留学生の皆さんが、福岡にいる間いい思い出ができるよう、その頃からいろいろ交流ができるといいのでしょうね。日韓交流はこのような草の根だと実感したところでした。 


2001年10月14日

左が羅玄鎮さん、右が小針さん

懐かしい人々

 先々週から懐かしい人が訪問してくれます。最初は、昔の同僚から始まり、友人等々・・・ 先日は、昔、私が、ソウル勤務しているころJNTO(日本国際観光振興会ソウル)に勤めていた小針さんでした。今は、静岡県立大学で助教授をされているとのことでした。本当に懐かしく思いました。あの当時にタイムスリップしたような気がしました。私と一緒に仕事をしている羅さんも考えてみると福岡県の仕事を始めて今月で10年になるし、その頃から一緒だし、そういう意味でちょっとした同窓会ですね。次の約束があるとのことであまりゆっくり話せませんでしたが、それでも楽しいひと時でした。そうそう、小針さんは、ソウルウオッチングという本を始め、韓国を読み解く等々著書があります。ぜひ一度お読みください。

 羅さんは、今一緒に仕事をしている同僚です。福岡県の仕事をして先ほども触れたように今月で10年になります。福岡県の観光説明は、私より詳しいと思います。10年の間、私と一緒にいる期間は、約5年です。面白いのは、仕事で一緒にタクシーに乗る機会があって運転手から、夫婦ですかと尋ねられるとものすごく否定することです。もちろん夫婦ではないのですが、そんなたいして気にすることでもないと思うのですが… 来年4月めでたく3人目の予定です。その、説明の仕方が面白いですね。妊娠は2回目なんですが(最初、双子だったから)、今度3人目なんですといった説明なんです。私としては、単に3人目でいいような気がするのですが、本人は、妊娠2回目というのを強調します。彼女の結婚、1回目の出産、そして、2回目の出産まで一緒にいるわけで何か縁のようなものを感じています。  


2001年10月15日

ヒョッピル作成中、右は、壁掛け

ヒョッピルをご存知ですか

 ここは仁寺洞です。このとおりは、芸術の街といわれるほど、骨董品の店があったり、掛け軸、絵画、陶磁器、小物、チマチョゴリの店が並んでいます。韓国芸能を楽しみながら、食事をする韓国式のお店も結構あります。

 この写真のようなパフォーマンスもあります。これは、日本語では、花文字といわれています。韓国語では、ヒョッピルです。「ヒョッ」というのは、「皮」です。「ピル」は、「筆」を表します。皮製の筆でかかれた文字を簡単にして、ヒョッピルというのだと私は解釈しています。同行した、お客さんが、自分の名前を書いてもらいたいということでこの店を訪問しました。いろいろ日本語で話をしながら、松は、縁起がいいからと、皮製の筆に数種類の色をつけて、書いていきます。時間にして、10分ぐらいだったでしょうか。青、緑、赤、黄色と色鮮やかです。本当は、説明がなければ、3分もかからないでしょう。色紙だけなら1万w、額をつけて、3万wでした(文字数によって違うそうです)。実は、私の友人もこのヒョッピルをしていて、今年の正月に年賀として贈ってくれました。昨年のイベントにあわせて、トレーナーを作ったのですが、そこにもヒョッピルで文字を書いてもらいました。韓国のお土産にいかがでしょう。

 写真の壁掛けには、先客万来、家内安全とかかれています。  


2001年10月16日

下の橋が潜水橋

潜水橋は沈みます

 韓国には、潜水橋と呼ばれる橋があります。2重の橋になっていて、下の方の橋を指します。通常、天気がいいときには、上下の橋を使うのですが、大雨になり、増水すると下の橋は、当然のことながら、水面下に潜ってしまいます。それで、この名前がついたそうです。当然、水面下に潜った橋を通行することはできません。日本には、このような橋はないそうです。また、韓国には、川辺に人工的に作られた道路がありますが、日本にはないそうです。韓国の方の発想というか、使えるなら使っていいし、使えないなら使わなければいいじゃないかという発想があるような気がします。きちんきちんそこまでしなくてもいいんじゃないのという、日本へのメッセージのようにも聞こえてきます。  


2001年10月17日

女性でにぎわう・・・

 

テイクアウトの店が増えました

 近頃、急に増えたのが、コーヒーのテイクアウトの店です。この近くには二、3軒のコーヒーショップがあったのですが、いつのまにか他の店に変わっていました。代わってこのようなテイクアウトの小さな店が登場してきました。スターバックスなどの店が数年前から、韓国上陸がきっかけなのでしょうか。おしゃれなお店が次々に登場しています。サラリーマンは、それを歩きながら飲んでいるわけです。私は、やはり、飲む、食べるは、座ってしないと落ち着かないタイプなので、それは邪道だなんて思ったりもするのですが。時代は、変わり、その紙製のカップをもって街中を歩くのがトレンドなんでしょうね。でも、私は、おいしいコーヒーをゆっくり座って味わいたいですね。  


2001年10月18日

JETRO正面部分 

単独事務所と共同事務所

 何の話と思われる方も多いと思います。実は、福岡県は、日本貿易振興会(JETRO)との共同事務所という形をとっています。ソウルだけではなくほかの海外事務所(香港、バンコク)もそうです。共同事務所というのは、日本貿易振興会と最初に契約を結んびます。日本貿易振興会のこの仕事は、福岡県がします、その代わり○○・・・という約束を結ぶわけです。そして、福岡県のスペースをもらいます(もちろん有料)。メリットは、日本貿易振興会の情報を活用できること、日本貿易振興会の名前を語れることがあります。

 ただ、同じ自治体の事務所といっても単独でソウルに事務所を出している(単独事務所)、長崎県、宮城県、新潟県とかなり差があるということです。たとえば今日は、公的機関の会議ということで日本貿易振興会の会議室の中でありました。先ほど話した単独事務所の方は、参加できるのですが、独立していない福岡県は参加できません。あくまで、日本貿易振興会の中に入っているという位置付けですから。同じように、ソウルジャパンクラブの部会にも入れません。努力しないでも人脈ができるものに参加できないというのはつらいところ。出入り口にも、福岡県の看板が出せません。まあ、それなら、それなりの仕事しかしなければいいじゃないとおっしゃっていただくのはうれしいのですが(そんなにおっしゃる方はいらっしゃらないでしょうが)。やはりやる以上、駐在している以上は、福岡県の名前をアピールして、そのことで、福岡県のイメージを上げたいし・・・手抜きしたくありませんから。   


2001年10月19日

道の真中を横断します

ポジャマッチャは行く

 ポジャンマッチャは、日本でいう屋台です。日本のものに比べると結構大型だというのが分かると思います。ポジャンマッチャを直訳すると「幌馬車」となります。まさしく、幌馬車と形が似ていたからそういうのでしょう。今回は、馬ではなく、人間が引いていますが。結構、これも技術がいるものです。結構幅のある道路を移動するわけですが、歩道をとおることが難しいため、このように車道を移動します。車と車の間合いを上手に、抜けていきます。

 夏場ももちろん、屋台を利用する人も多いのですが、やはり、冬場が本場だと思います。そういう意味で、これから、お客が増えてくることでしょう。今でも職場近くの屋台は、結構、サラリーマンでにぎわっています。

 昔は、屋台というと安いというイメージでしたが、近頃は決して安い代名詞とはなっていません。まず、最初に、値段を聞いて注文することをお勧めします。  


2001年10月20日

信号機の右の部分を注目

信号システムが変わりつつあります

 韓国に来られたことのある方は、横断歩道を歩いていて、青信号が短かいなというのを感じているのではないでしょうか。日本は、点滅は、いよいよ赤に変わるときですが、韓国では、12歩、歩き始めると点滅になります。ほとんど点滅状態のときに横断している状況で、点滅し始めてから渡る歩行者としては、結構不安なものです。

 その不安を解消すべく、ここ2ヶ月ぐらいの間に歩行者信号機の横に補助の信号が設置されました。これは、2種類ありますが、主流はこの写真のものです。これは、青信号になると、この補助信号の青いランプが、受けからだんだん消えていくというもので、いち番下までライトが消えると赤信号に変わるというものです。今回写真では紹介いたしませんが、同じように歩行者信号の横に補助信号があるのですが、これは、カウントダウンをするというものです。10からカウントダウンが表示され、それが0になると赤信号に変わるというものです。後者のほうは、数字のカウントであり、遠くから醜いため、道幅が比較的狭いところに限定されるようです。いずれにしても歩行者にとってはありがたいことだと思いました。少しずつ、歩行者というか、弱者に対する配慮が出てきたのかもしれませんが、相変わらず、交通マナーの悪い車が多いというのは事実です。これからも信号を過信することなく、慎重さを忘れないことは肝要なことです。  


2001年10月21日

日本ブース 左から2番目が、福岡県ポスター

ソウル祭り

 毎年、10月中旬に開催されるこのソウル祭りも今回で、第6回目になります。この祭りは、ソウルに住む外国人とソウル市民の祭りとして計画されたもので、日本はもちろん、ロシア、インドネシア、中国、ヒィリピン、ベトナム、ラオス、パキスタン、インド・・・ が、参加しました。各国の紹介ブースでは、物販、ポスターの展示がなされます。福岡県としても、ポスター掲示、パンフレット配布をしました。私は、第1回目から経験しているのですが、当初は、いろいろもめました。まず受け入れ態勢で、日本大使館が、受け入れを拒否したことです。他の国は大使館が窓口なのに・・・ ソウル市との折衝だけは、大使館がし、後は、民間団地のソウルジャパンクラブが受け入れたということです。それから、日本側の出演者に対するクレームもありました。日本側の参加者の踊りのときに、機械の故障で音が出ないということがありました。今回は、そんなことはなかったのですが、入場者数は、昨年に比べてかなり少なかったようです。パンフレットもあまり無理して配りませんでした。パンフレット台に置いてほしい人だけが持っていってもらうという具合に。結局することがほとんどなく、会場をぶらぶらしただけで、疲労しただけといった感じでした。

 メインステージでは、各国からの出し物や、ワールドカップに向けた出し物が疲労されました。日本からは、沖縄の踊りでした。踊りそのものは雄大でよかったのですが、バックミュージックの中で、中国語の歌が入った音楽を使って踊りをしていました。それだけ、アジアに溶け込んだ沖縄舞踊ということを強調しようということなのでしょうが、ステージそのものは、その国を紹介するためのステージなのですからやはり、沖縄の地方の音楽を使ってほしいと思いました。ワールドカップを盛り上げるために、司会者が、今日は、外国人のためのイベントですが、私は、外国語ができないので韓国語でいきます。皆さんご唱和ください・・・ とここまではいいと思うのですが。「韓国、ファイティング」という言葉を一緒に言えというわけですよね。他の国の人は、やはり自分の国を応援したいだろうし、自分で、外国人のためのイベントだといっておいて、そんなのを一緒にさせるのかなと思わず笑ってしまいました。本当に自己中心なんだから。でも、司会者はそんなこと気が付いていないと思うし、それで、私も思わず笑ったんですよね。


2001年10月22日

熱心に勉強しているところ

日本の手話

 韓国には、韓国の手話があります(54日の日記で触れたことがありますので、時間のある方は、お読みください)。日本にも日本の手話があります。先日、友人の紹介で、日本の手話を勉強したがっている人がいるからぜひ時間を作ってほしいと話がありました。友人の頼みだからということで、先日から始めました。彼女は、高さんと言うのですが、旅行社のガイドをしていたころ、日本の聴覚障害者のガイドをすることがあり、その時話ができなかったのをとても残念に思って手話を勉強したいと思ったそうです。本で勉強したりもしたそうですが、実際に勉強したいので顔の広い友人に依頼したとのことでした。それが私のところに回ってきました。先日、1時間半ほど勉強しました。指文字(指で50音を表す)も初めてだというのにあ行から、さ行まで覚えましたし、簡単な挨拶で使う必要な単語もすぐに覚えました。現在は、中国語とパソコンも勉強しているそうで、もうしばらくしたら、仕事に復帰するそうです。日本からの聴覚障害者の旅行者は、全部、自分が、受けたいと抱負を語ってくれました。私も確かに、自分の仕事は増えますが、このような人が増えれば、聴覚障害者の皆さんが韓国を楽しめるのでうれしく思ったしだいです。


2001年10月23日

地域を売り込む皆さん

私が団長

 いろいろなミッションを受け入れたことがありますが、受け入れる私が団長なんて初めてのことです。いきなり、あなたは今回の団長ですからよろしくお願いしますなんて話を聞いて、本当に驚きでした。最初は、懇親会での最後の挨拶をという話でしたから。もっとも、福岡県からは、経費面もあり、ソウル駐在員で対応となったことが私が、団長になった一番大きな理由なのかもしれません。団と言っても総勢7人の団です。旅行社を訪問し最初に挨拶をしたんですが、悪い気はしないんですね。結構、自分には、仕切るのが好きだなと思ったりしたり・・・

 このミッションは、西九州(福岡県、佐賀県、長崎県)の国際観光ルート協議会のミッションで西九州を売り込むミッションです。それぞれが旅行社に売り込んだのですが、行政がいくらやっても弱いというのを実感しました。実際に施設オーナーであれば、何人以上コンスタントに出してくれるのなら、いくらにしましょうといった具体的な話ができるのでしょうし、それぞれの県の施設と韓国の旅行社をうまく結びつけるような、そんな方法があればそれが、ベストかなと思いました。


2001年10月24日

熱心に説明に聞き入る旅行社の皆さん

観光説明会をしました

 西九州国際観光ルート協議会(福岡、佐賀、長崎)の観光説明会をロッテホテルでしました。経費的な面もあり、福岡県からは、誰も来ません。代わりに私が担当しました。最初に、3県で作ったビデオを20分ほど流し、そのあと、各県が説明をしました。一番最初は、悪いような気もしますが、私は、最初に終わって、気が楽になるから、終わりの方よりどちらかというと最初の方が好きです。私が話そ

うとする内容は、ビデオの内容と同じだから、それなら、同じことを繰り返して話すより、自分の強調したいことを自由に話してみようとこれまで作った原稿は、全く無視して、自分の思いつくまま、自由に話しました。しょうもないしゃれだと思いながら、話したことにも旅行社の人は、笑ってくれたし。そのあとの懇親会でもいろいろな人から誉めてもらいました。ただ、やはり、うまいの域を出ていないということを痛感しました。そんな私は、普通に話しているのに、話している途中で、本当にうまいですね… 私は、会話を楽しみたいと思っているのに、途中で、そういわれると、私の韓国語もまだまだだなと思うわけです。早くその領域を出たいものです。


2001年10月25日

セマウルの終点釜山駅ホーム

久しぶりの釜山

 久しぶりにミッションの同行で釜山を訪問しました。セマウルでの移動、寝不足の私は、この機会を利用して、ゆっくり寝ようと思ったのですが、眠れませんでした。旅行社に行き、ヒヤリングと西九州の売込みをしたのですが、ソウルと反応がぜんぜん違うんですね。プサンの方が経済的打撃が大きいということでしょうか。メインの旅行は、なんと言っても中国だそうです。上海、北京を中心としたパッケージ商品が売れているそうです。ソウルのような、ゴルフパッケージツアー(日本向け)は、あまり出てないようでした。それだけ、釜山は冷え込んでいるのかなと思いました。明日から2泊3日のミッション受け入れがあります。駐在員の宿命というか、少し休ませてほしいといえないのがつらいところ、人気者の添乗員の気持ちがよく分かります。  


2001年10月26日

左右2人目が、李大淳氏、奥様

こんな偉い方と会食をしました

 前大統領 チョンドファン氏、ハンナラ党総裁 イヘチャン氏と一緒に食事をしましたというと、驚く方も多いと思います。もちろん、私を含めた3人でしたわけではありません。李大淳氏の古希のお祝いに、福岡県議員の皆さんが呼ばれたおまけで、私のも招待されたものです。李大淳氏は、国会議員をされた後、湖南大学の総長を経て、韓日友好協会の副会長をはじめ、いろいろな要職をされています。その関係で私も5〜6回お会いしたことがあります。その古希のお祝いにゲストとして、そのような有名人も招かれたのです。テレビの取材もきていましたし、花束の数のすごいこと… ただ、この李大淳氏は、本当に立派で偉い方なのに、福岡県の議員の皆さんが、訪問するというと、どんなに忙しくても少しでも時間を作って挨拶にきてくれることです。今回も訪問して、時間がないにもかかわらず、本当に、挨拶のためにきてくれましたし、このようなお祝いの席にまで招いてくれるのですから。本当にすばらしい人だと思いました。以前、李大淳氏を訪問した時に、はずせない別件があり、どうしても時間が取れないということがありました。そのときは、せっかく訪ねてくれているからと、奥様が代わりに、夕食に招待してくれました。夕食後11時過ぎに、別件が終わったということで二次会で本人とはお会いすることができました。

 一緒に奥様と歓談しながら思ったのは、果たして、私が同じ立場だとしても妻には頼みきれないだろうということです。奥様のすごさというものを感じました。ご主人がどのように考え、自分を訪ねてくれる人をいかに大事にしているかという事をよく知っているということを。そういいながら、自分には自分があり、冗談にご主人より、私の方が、お金稼いでいるかも…といわれたのを印象的に覚えています。十六茶のブレンド方法を日本の企業に提案し、毎月お金を得ている等々・・・ 李大淳氏そのものも、ぜんぜん偉ぶることなく、いつも腰が低く印象的でしたが。今日の挨拶の中でも今の自分があるのは、みんなが自分を助けてくれたからだと謙遜に満ちた言葉でした。

 おごり、高ぶりのないことは、以前から知っていましたが、これまで以上にひきつけられました。私にとっては、前大統領よりも、ハンナラ党総裁よりも李大淳氏は、立派で偉く見えました。ちなみにクリスチャンとのこと


2001年10月27日

正面がサウナ入り口向かって左が更衣室

初めての経験

 あるえらい方がソウルを訪問されました。その際、ちょっと時間があるから、山下君も付き合ってよといわれ、ソウルで初めてサウナに行きました。あかすりも山下君の分も払っておいたからといわれ… 私はこれまでの駐在期間1度もあかすりは利用したことがありません。ここは、新羅ホテル3階のサウナ室です。ここのフロントで、あかすりを頼みお金を払い、もちろん宿泊客は、後で清算となります。それから、番号のついた鍵をもらい、靴を鍵と同じ下駄箱に入れます。それから奥に進み、ロッカーで服を脱ぎます。それから、シャワーを浴び、サウナに入り、約束の時間になって、個室に行きます。あかすりをしてくれるのは、ここ新羅では、1人だけでした。

 前の方をタオルで隠しているのは、日本人のようです。韓国の人は、隠していないので、ああ、あの人は、日本人、この人は韓国人とすぐに見分けることができます。私は、時間になり、個室に入りました。個室には、樹脂の寝台があり、そこにいわれるまま、横たわります。あかすりをしてくれるのは、若い男性で、あかすりタオルを使って、15分ぐらい念入りにしてくれます。そのときは、そんなに感じないのですが、終わって服を着るときに、結構、肌がすべすべしていることを実感します。それから、サウナにはいったこともあり、数時間たった頃、すっきりしたことを実感できました。人前ですっぽんぽんの経験がないので、最初、少々恥ずかしく思うのですが、結構、はまるかもしれません。そう思いました。あと、理髪店で、髪を切って、マッサージをしてもらえると最高なのでしょうが。


2001年10月28日

迎賓館

青瓦台訪問

 青瓦台というのは、大統領府といったらいいのでしょうか。そこを訪問しました。まず、景福宮の中へ受付窓口がありますので、そこへ身分証明書(パスポート)を持っていき、入場券をもらいます。無料ですが、個人個人のチェックをしますので、各自が申し込みをしなければなりません。顔チェックがあります。それを終えるとバスに乗って、青瓦台へ移動です。最初に、持ち物の検査があります。飛行場の手荷物検査を思い出していただければいいでしょう。私は、早速、デジタルカメラが引っかかってしまいました。普通のカメラはいいのですが、デジタルカメラや、ビデオはだめとのことでした。仕方なく、受付でそれを預け、視察しました。もっとも写真の撮影する場所も制限されていたので、自分が思い通りに撮れるというわけではありませんでしたが。ヘリポートもあり、大統領のジョギングコース、プール、迎賓館とさすがだと感心させられました。大統領は、コスモスが好きだということで、ちょっとしたコスモス街道がありました。ここは、大統領によって花の種類も変わるのでしょうが。

 30人以上の団体観覧は、1、2、7、8月を除く毎週、火曜日から土曜日午前(10時から12時)、午後(14時から17時)で、2週間前に予約が必要です(737−5800)。一般の場合は、4、5、9、10月の毎週金曜と土曜日です。


2001年10月29日

新羅ホテルの階段前庭園

ネーティブチェック

 韓国の方が、日本語の本を作るときには、必ず、ネーティブチェックというのをします。ようは、日本人に見てもらうわけですね。私も時々依頼を受けます。でも、どう見てもおかしい文章が入った日本語のテキストが店頭に出ていますが、あれは、きっとネーティブチェックをしていないのでしょう。それを買って勉強する韓国の皆さんは、本当に気の毒です。

 私が、ネーティブチェックをするからでしょうか、時々、私が、例文に登場するんですが、どれも歯が浮くようなもの。「山下さんはとてもまじめな方でした。」は、まあ、そうかななんて読む人にも許してもらえるかなと思うけど。「山下さんは頭もいいし、ハンサムだ。」これには、さすがにチェックしていて笑いが出てしまいます。原稿をチェックすることで、自分も韓国語の勉強ができるし、依頼者も喜ぶし一石二鳥というところでしょう。 

 この日は、それを終え、来客のため新羅ホテルに行きました。このホテルは、ソウルでも1、2位のホテルですが、丘の上にあるため、地下鉄駅から、その坂道と階段を上らなければなりません。これから、階段というところにこの庭園があります。ここでちょっとほっとして、気合を入れて階段を上るわけです。このホテルを使う方は、タクシーや自家用車で来るのがほとんどでしょうが、私のような庶民は、こうして、地下鉄駅から歩いて登るわけです。その、庶民を励ましてくれる庭園のような気がしました。  


2001年10月30日

国税庁の建物

国税庁

 この建物は国税庁です。私が入っている永豊ビルの道路はさんでまん前の建物です。超未来的な建物、この建物を見て驚きました。そしてこの中に国税庁が入っていると聞いて、また驚きました。写真を見ていただくと分かるのですが、中間部分が、空洞になっています。その下の部分は、本来上下に動く設計だったそうです。建設段階で、固定することになったそうですが、実際動いていたとしたら、どんな金食いビルなのか、想像もできません。ただ、ガラス面にしてますから、透明にやってますよという主張はできるかと思いますが、ちょっと、国税庁の入る建物ではないような気がしているところです。それならどんなところがいいかといわれるとぱっと思いつきませんが。

 韓国も、マスコミに査察が入って追徴をしたりといろいろあるようで、逆に、国税庁が、マスコミからたたかれそうで、人の事だといいながらこの建物を見るたびに心配しているこのごろです。  


2001年10月31日

きれいな紅葉

世界陶磁器博覧会も終わりました

 今年、8月10日から始まった世界陶磁器博覧祭も10月28日に終わりました。福岡県も出展していたこともあり、私も数回顔を出しました。本日は、撤収作業の立会いということで会場であった利川にやってきました。エージェントからぜひ、撤収作業の確認をといわれやってきたのですが、他の県は、わざわざこのために、日本からきたのでしょうか。会場は撤収作業でごった返していました。福岡県内の展示品も梱包されていました。その確認すること5分。そして、事務所へ引き上げます。車で、約1時間半かかりますので、今日は、12時半に事務所を出ました。レンタカーに乗って、2時に到着しました。利川の景色はすっかり秋でした。例年より、雨が少なかったこともあり、鮮やかさにかけるという方もいらっしゃいますが、それなりにきれいでした。5分のためにここへきたのではなく、この紅葉を見に来たんだと思いつつ、帰路につきました。レンタカーの運転手さんが、デジカメに興味があるらしく、帰りは、ずっとデジカメの話をしていました。結局、到着したのは、5時前でした。今日も残業です。

 お知らせです。明日(111)から、市外通話が安くなります。距離に関係なく10秒で14.5wになります。


       
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