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朝日新聞で紹介していただきました。早版と遅班があります。左が早版。遅番になると他の記事の関
係で、記事が短くなってしまうそうです。面白いですね。それまで知りませんでした。平成16年5月27日
夕刊です。

この掲載直後急にアクセス件数が増えました。さすが、マスコミですね。今は、カウンターの調子が、
悪くて、7万人を越えた段階で、カウントできていませんが。まあ、件数で書いているわけじゃないから
いいかと思ってはいます。

   
下の4枚の写真は、委嘱状関連のものです。これも西日本新聞さんの協力です。内容は、記事の
とおりですので、詳しくは話しませんが、上左から委嘱状、ハングルで書いてありますが、私の名
前と当時の市長の名前が書いてあります。委嘱状をもらってすぐ会議があったのですが、その時
の会議資料と観光振興委員の名簿(下から3番目が私の名前)。

実は、日本人としては、私は、2人目なんです。最初の人は、JR九州の村上さん。彼も韓国にはま
った人であり、JRの中では、韓国語が一番うまい人ではないでしょうか。余談ですが。

 2001年、あまり好きではないのですが、お金を
渡しに李秀賢さんのご両親宅へ行ってきました。
本当なら、会長が行くべきところだと思います。
会長に声もかけず、JRの事務局側と一緒に行っ
たのですが・・・ それも新聞にまで載ってしまっ
てというのが正直なところです。

 なんか、売名行為みたいで本当に嫌です。新
聞載るのは嫌いじゃないけど、こんな形で載る
のは、やはり嫌ですね。

 でも、彼の行為はすばらしいというか、すごい
としか言いようがありませんね。そして、両親も
もらったお金で、基金を作り、韓国からの就学
生の奨学金に当てているのですから。まあ、こん
なすばらしい両親だから、こんなすばらしい息子
ができたのかもと変に納得しています。

 韓国の友人が話をしていたのですが、韓国人
は、軍隊経験があり、いざとなると、反射的に
体が動いてしまうそうです。人を助けるという行
為も自然と身についているのかもしれませんね。

 彼のおかげで、というのもおかしな言い方です
が、日韓が近づいたというのは事実であります。
親の立場だと親より先に死ぬなよな・・・ そう思
います。そんな悲しい思いをさせるなよな。

00年4月8日の西日本新聞記事。当時というか、
企業誘致に力を入れており、海外事務所の一
番大きな仕事は、企業誘致だといわれ、赴任し
たわけです。直接、企業を引っ張ってくるときに
一番利用しやすかったのが、この福岡ベンチャ
ーマーケットだったわけです。
最初は不安でした。毎月、1〜2社出して欲しい
といわれていたので、結構プレッシャーでした。
ふたを開けてみると、大体予定通りいきました。
ただ、プレッシャーのおかげで、結構無理しまし
たが、今だとあんなこともあったのかなんて思っ
たりしてます。

関係機関まわり、展示会への出展、人も、お金
もそんなにないので、スタッフと交代で、会場へ
呼ばない感という気があるから、説明にも力入る
し、そういう意味でよかったのかもしれません。た
だ、その分デスクワークの仕事はたまるわけで
すが、今はいい思い出でです。それにいい、友人
に恵まれたということもあります。今で、キーパー
ソンですから。

私が帰国してから、景気も悪いのもあるのかも
しれませんが、ベンチャーマーケットに参加する
企業がないとのこと。残念です。多分、もう一度
ソウルに勤務するでしょうから、その時は、私な
りに集めたいと思っています。

   
99年3月21日の西日本新聞の記事です。この頃
も企業誘致の仕事をしていました。韓国の水産
加工業者を誘致したときの記事です。ちゃんと
アジア企業誘致班リーダーの山下雅弘さんは…
と名前が出ているのがうれしいですね。
   
98年3月11日の西日本新聞の記事です。
当時、私は、企業立地課に勤務しており、アジア
からの企業誘致を担当していました。結構、プレ
ッシャーがありました。そのときに完全な誘致で
はないのですが、販売契約という形で何とか・・・
   
87年12月11日(西日本新聞)、私が、当時、消費
生活で勤務していた頃の新聞記事、歳末商
戦の頃、商店街パトロールをしているもの。
手前に移っているのが私です。

   
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